愛した人は剣奴だったから
輿の側面から奴隷の若者の横顔を密やかに盗み見ていた。悪いことをしているような気分だった。シャラン、シャランッと、彼の左耳を彩る金色の耳飾りが優雅に揺れている。後方から漠然と眺めていた時よりもアデリアの鼓動が速まっている。
漆黒の髪も小麦色に日焼けした肌も艶やかで、顔の肌には傷一つ無く女のように綺麗なのだが、なぜか、肩には生々しい火傷の跡と刀傷が残っている。
しばらくの間、野性味と繊細さとを併せ持つ精緻な横顔に見惚れる。胸がサワサワとさざめく。何とも不思議な浮遊感だ。まるで、夢の中にいるような気分だった。
彼は別の路地んだ。アデリアの輿は丘の上にある白い神殿へと続く道に入った。月の女神の神殿と広場は隣接している。市場を併設してる広場は半円状の構造をしており、役所の一角のベランダが演壇となっている。
『善良なるオスベル市民に申し伝える!』
肥満体型の報道官の野太い声が朗々と響いていた。
事故や天災。貴族の冠婚葬祭の日程。剣闘士やニ輪車競技の試合の結果などを克明に伝える。
そういえば、九年前、アデリアの母が亡くなった時も報道官がアデリアの母の葬儀の場所を語っていた。向日葵のように明るかった母の笑みを思い出す。
(お母様が生きていたら、やはり、お見合いを勧めたのかしら……)
十九歳になるというのに男の人が苦手だった。ずっと独り身でもいいと思っている。はてささて、どうしたものかと悩みながら、月の神殿で祈りを捧げる。
(女神様、あたしはどうすればいいのでしょうか……。テラスのお小言を聞かずに済むようにして下さい)
長々と祈ってはみたものの効果のほどは分からない。夕刻。神殿での用事を終えて市場の脇の坂道を下りる途中で異変が起きた。突然、輿の前に連なる手押し車の群れが停止して動かなくなった。
坂の途中から、斜め下にある市場に目をやると、狭い通路脇の露店を蹴散らすように馬が暴走していた。
『危ないぞ。逃げろ。暴れ馬に蹴られちまうぞ!』
輿の担ぎ手の男の一人が斜め下にある市場の方角を見つめたまま叫んでいる。
『やっべぇぞーー。あそこに狂犬がいるぞーー』
馬が暴れた原因が分かった。老いた白髪の男が犬に噛まれて右腕を押えたまま怯えたようにヒィヒィと呻いている。一匹の野良犬が、市場の肉屋の梁に吊るされた生肉を前足で引き落として喰らいついている。
そこにいる皆が犬を怖がり遠巻きに眺めながらも、どうにも出来なくて困っている。
すると、長い木製の棒のようなものを握ったまま、ジリジリと歩み寄る若者がいた。アデリアはハッとして改めて目を凝らす。
(あれは先刻の奴隷だわ……)
漆黒の髪も小麦色に日焼けした肌も艶やかで、顔の肌には傷一つ無く女のように綺麗なのだが、なぜか、肩には生々しい火傷の跡と刀傷が残っている。
しばらくの間、野性味と繊細さとを併せ持つ精緻な横顔に見惚れる。胸がサワサワとさざめく。何とも不思議な浮遊感だ。まるで、夢の中にいるような気分だった。
彼は別の路地んだ。アデリアの輿は丘の上にある白い神殿へと続く道に入った。月の女神の神殿と広場は隣接している。市場を併設してる広場は半円状の構造をしており、役所の一角のベランダが演壇となっている。
『善良なるオスベル市民に申し伝える!』
肥満体型の報道官の野太い声が朗々と響いていた。
事故や天災。貴族の冠婚葬祭の日程。剣闘士やニ輪車競技の試合の結果などを克明に伝える。
そういえば、九年前、アデリアの母が亡くなった時も報道官がアデリアの母の葬儀の場所を語っていた。向日葵のように明るかった母の笑みを思い出す。
(お母様が生きていたら、やはり、お見合いを勧めたのかしら……)
十九歳になるというのに男の人が苦手だった。ずっと独り身でもいいと思っている。はてささて、どうしたものかと悩みながら、月の神殿で祈りを捧げる。
(女神様、あたしはどうすればいいのでしょうか……。テラスのお小言を聞かずに済むようにして下さい)
長々と祈ってはみたものの効果のほどは分からない。夕刻。神殿での用事を終えて市場の脇の坂道を下りる途中で異変が起きた。突然、輿の前に連なる手押し車の群れが停止して動かなくなった。
坂の途中から、斜め下にある市場に目をやると、狭い通路脇の露店を蹴散らすように馬が暴走していた。
『危ないぞ。逃げろ。暴れ馬に蹴られちまうぞ!』
輿の担ぎ手の男の一人が斜め下にある市場の方角を見つめたまま叫んでいる。
『やっべぇぞーー。あそこに狂犬がいるぞーー』
馬が暴れた原因が分かった。老いた白髪の男が犬に噛まれて右腕を押えたまま怯えたようにヒィヒィと呻いている。一匹の野良犬が、市場の肉屋の梁に吊るされた生肉を前足で引き落として喰らいついている。
そこにいる皆が犬を怖がり遠巻きに眺めながらも、どうにも出来なくて困っている。
すると、長い木製の棒のようなものを握ったまま、ジリジリと歩み寄る若者がいた。アデリアはハッとして改めて目を凝らす。
(あれは先刻の奴隷だわ……)