愛した人は剣奴だったから
「見ろよ。アデリア、夜光虫だ」「すごく美しいわ。光のカーテンが揺れているように見えるわね」

 周囲を気遣ってアデリア達は囁くような声で喋っている。夜の海を背景に立っている彼は、甘い微笑みを浮かべている。

「でも、オレはアデリアを見ている方がいいけどな」


 顔が近付いてきた。どうやら、ここでキスをするつもりらしい。

「駄目よ」

「何でだよ。誰も見てないぜ」

 船首にいる当直の水夫は甲板にあぐらをかいたままウトウトと眠ってしまっている。二人は、少年少女のようにコッソリとキスを交わすとクスッと笑った。

「不思議ね。こんなふうになるなんて考えてもみなかったわ」

「おまえに会っていなければ、今頃、農園でオリーブの実をせっせと箒で落としていただろうな。ちょうど収穫の時期なんだ」

 潮風を感じつつアデリアの肩を抱き寄せたまま、レンシーは、少し前から疑問に思っていたことを回想していく。

(オレはユカラに売られる予定だった……)

 転売すると告げたのはテラスだ。

『ユカラ様の御宅に移ることになるけれど、あなた、それでいいのですか?』

 テラスは、レンシーとアデリアが、ああいう形で逃亡する前日、レンシーに向けて意味ありげに笑っていたのである。 

『あなた、いつまで偽りの生活を続けるつもりですか? あなたはゴビを倒す機会を狙っているのでしょう? ここにいては何も始まらないわ。ジクの傭兵としてゴビに仕えるザトラ兵士の残党がたくさんいる。あなたが、その気ならば、紹介してあげてもよろしくってよ』

『ほっといてくれ』

 あの場ではそう答えるしかなかった。テラスが何を考えているのか分からなかったからだ。

 あの時点で本心を明かすわけにはいかなかった。

 けれども、ずっと心に引っかかっている。テラスは、いつも見透かすような目をしていた。

「テラスは、なぜ、オレなんかと引き合わせたりしたんだろうな」

 アデリアが探している男は見つからなかったと告げることも出来たのに。

「テラスは昔からそうなのよ。あたしが欲しいと望んだものは、どんなことをしても用意してくれる」 

 申し訳ない気持ちで一杯になっている。アデリアは何でも素直に顔に出すので分かり易い。

「きっと、テラスは心配しているわ。あたしはテラスに支えられていたからこそ、ここまで生きて来られたのよ」 
 
「そうだな。あの女はおまえを溺愛している」

 言葉ではうまく言えないが、レンシーはテラスについて考えると、正体不明のざらついた気持ちが生じる。 

『いつまで偽りの生活を続けるつもりですか?』

 あなふうに眉を寄せたまま訝しげに告げられると、レンシーの中で奇妙な緊張感が生まれる。

 これまで動けずにいた。もうすぐジクに辿り着く。今頃、ヘルワはどうしているのだろう。

< 86 / 104 >

この作品をシェア

pagetop