愛した人は剣奴だったから
19 惜別
 それでも、彼と別れるしかなかった。

 小型だが豪奢な馬車から降りると出港を知らせる角笛が鳴った。オスベルに帰るためには船に乗るしかない。最新形の船。二百人の漕ぎ手が乗り込んでいた。太鼓の音に合わせて奴隷達が櫂を漕ぐのである。

 アデリアは、高貴な身分な者達専用の船室に入るとテラスと向かい合って座っていた。

「お顔の色が悪いようですわね。アデリア様、船酔いでしょうか?」

 乗船してから一言も発していない。顔を強張らせたまま物憂げに横たわると涙を浮かべていた。

「お水をお飲みになりますか?」

 テラスは心配そうに尋ねたけれど、アデリアは首を振った。

「いいえ、結構よ。船酔いじゃないもの」

 こうなったのは誰のせいでもない。後先のことを考えずに恋に溺れてしまった。後悔はしていないと言いたいけれども、奥様のことを思うと申し訳なくなっている。

 素敵な恋の結末を見誤ってしまっている。まさか、こうなるなんて……。

「子供の頃、何度も姫君の物語を読んでもらったわね」

「覚えておりますよ。お嬢様は、いつも同じ話を聞きたがりましたね」

 アデリアの少女時代をとりまく空気は優しくて暖かいものだった。綺麗な貝や小石や琥珀や綺麗な鳥の羽などに囲まれていた。遊び疲れると、テラスが穏やかな声で御伽噺を囁いてくれたのだ。

『昔むかし、ある所に甘えん坊のお姫様がお城で暮らしておりました。三人の王女のうち、末娘の姫様はとてもお綺麗でお優しかったけれども、二人のお姉様達は意地悪でした。末姫様をある夜、お城から追い出してしまったのでございます』

 困難の連続。山のように積み上げられた砂の中から金色の粒を探し出さないと魔女に殺されるという不吉な呪いをかけられていたのである。盗賊に脅されたり川辺で悪い精霊に食べられそうになったりする。末姫は、さんざん苦労する。もう、駄目だと嘆く。けれども、冒険の途中で素敵な王子様と巡り会うのだ。そして、二人で苦境を乗り越える。めでたしめでたし。あの頃は、お伽噺を聞いているだけで幸せだった。

 物語の世界の女の子は、いつも幸せになる。

 自分もそうなれると夢見ていた。

「でも、現実は物語のように甘くないのね。みんなが、あたしを馬鹿にするもの当たり前だわ。あたしは愚かだったわ」

 アデリアが家を出た後、テラスの妊娠が医師によって確認されている。相手はアンスである。シルミスがアンスと結婚して家長になる事が内定している。

「お姉様は愛する人と結ばれるのね。良かったわ」

 短期間の間にアデリアを取り巻く環境は激変している。

「何かとお疲れでしょう。いい体験をなさいましたね」

 テラスの声音が、いつも以上に真剣なものになった。

「これから大切な話をします。どうか聞いて下さいまし」

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