新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜
「もしもし」
「あの、矢島ですけれども、こんばんは」
「こんばんは」
「昼間は、ご馳走様でした」
「ああ。いや……用事があったのに、悪かったな」
あっ……。
そうじゃない。用事なんてなかったんだから。
「あ、あの、そうじゃないんです。高橋さん」
「ん?」
「高橋さん。私……いきなり帰ったりして、ごめんなさい」
「……」
「私、ちょっとビックリしちゃって。それで……」
「いや、別に。こちらの方こそ、気を遣わせてしまって悪かった。本当に、申し訳ない」
「高橋さん……」
「それじゃ、また月曜日」
「は、はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
電話の切れる音を聞いて、思わず力が抜けた。
何だろう?
この、何とも言えないモヤッとした気持ち。
高橋さんに謝れたというのに、気分が晴れない。
用件だけ、話したからかな。
素っ気ない感じがしたのは、気のせいだろうか。
ひょっとして、昼間のことで高橋さんは怒ってる?
でも、そんな風には感じられなかったけど……。
そんな悶々とした思いのまま、高橋さんの顔が早く見たくて月曜日になるのが待ち遠しかった。
その待ちに待った月曜日だったが、週明けから決算の本締めまでは怒濤の忙しさが続くわけで、今週は時間の戦いの1週間になりそうだった。
その間も、高橋さんと中原さんは会議や外出で出たり入ったり慌ただしく、1人で電話対応に追われることも多かった。
会社から帰ると、あっという間に朝になり、また重い体を起こして会社に向かうという日が3日続いた水曜日は、1番長い残業になってしまい、会社を出るのがすでに日付が変わる寸前だった。
「中原と矢島さん。送っていくから」
「すみません。乗り換えの終電が、ギリギリ間に合うか間に合わないかってところだったので助かります」
「あの、私はまだ終電まで少しあるので、電車で帰ります」
「時間も時間だ。2人共、送っていくぞ」
「そうだよ。矢島さん。送ってもらった方がいい」
中原さんにもそう言われ、高橋さんの車で送ってもらうことになったが、中原さんの家は会社を基点にすると高橋さんと私の家とは反対方向だったので、先に中原さんの家に寄ってから私の家に向かうことになった。
中原さんが降りて後部座席から助手席に移ったが、疲れているせいか高橋さんとの会話はあまりない。
高橋さんも、疲れているし眠いのかな?
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