二人でお酒を飲みたいね。
 今夜も静かに更けていく。 尚子は大丈夫なのだろうか?
康子は吸い物を飲みながら考え事をしているようだ。 「子供産みたかったなあ。」
俺の顔を見ながら寂しそうに呟く。 お客さんはとうとう来なかったんだ。
「子供は作らない。」って決めている夫婦も居るらしいけれど、本当にそれでいいのかね? 年を取った時、頼れる人が居ないかもしれないんだよ。
子供が唯一って人も居るだろう。 その子供を拒否したっていいのかなあ?
 そりゃね、夫婦それぞれの考えだから俺がとやかく言えるような問題じゃないさ。 でも寂しいと思うよ。
50を過ぎて産みたいって思ってもなかなか厳しいんだからね。

 少子高齢化はどの国でも切羽詰まった問題になってきている。 それをどうやって解決するのか?
まずはさ、大家族を復活させるべきだよね。 各家族だったら女は兎にも角にも大変だ。
炊事 洗濯 掃除に子育て、家のことは何から何までやらなきゃいけなくなる。
そのうえで安心して相談できる人が近くに居ないんだ。 友達じゃあ全てを頼るわけにはいかない。
だから大家族が必要なんだよ。 爺と婆が居る。
まあ、口うるさいとか姑がどうのとか言いたいことは分かるけど、経験者が近くに居るんだ。
いろいろと相談できる人たちがね。 それは心強いことじゃないか。
 日本は大家族をなぜ捨て去ったのだろう? 若夫婦だけで暮らしたい。
気持ちは分かるよ。 でもそれだから今みたいになったんだろう?
 やっぱりね、三世代一緒に暮らすってのはいいもんだよ。 誰かが交流してる。
そうだから認知症だって防ぐことが出来るんだ。 一人、風呂の中で死んでるなんて嫌だよ。
 康子は唐揚げを食べている。 あの日のことを思い出しているみたいだ。

 「入りましょう。」 そう言って丸一のドアを開ける。
賑やかな店内を歩きながら俺たちは引き付けられるように奥のボックスに身を隠した。
「あなたはビールだったわね?」 メニュー表を見ながら康子が俺に聞いてくる。
運ばれてくる料理を食べながらこれまでのことを話す。 お互いに再婚するチャンスは有ったのに、、、。
「それでもさ、なんかいい人が居ないような気がしてここまで着ちゃったのよ。」 康子は初めて笑った。
 そりゃね、15年も飽きないでくっ付いてたんだ。 簡単に他のやつに乗り換えられるとは思えない。
芸能人のニュースを見ていると吐きたくなるくらいに変なのが多いね。
不倫した相手と再婚するなんてのはもっての外だよ。 そいつの人間性を疑うわ。
最初から結婚しないほうが良かったんじゃないのかね? 迷惑もかけないし遊びたい放題に遊べたろうし。
まあさあ、5回も6回も結婚するやつも居るよねえ。 俺には信じられないよ。
せいぜい不倫ごっこでもしてなって。 一生をそれで面白く過ごしたらいいじゃない。
 毎日が不倫だっていう人も居るのかなあ? パパ活 ママ活 種活、、、いい加減にしてほしいわ。
 誰にも見向きもされないで死んでいく人も居れば、毎日キャーキャー騒がれている人も居る。 どっちが幸せなんだろう?

 ボーっとビールを飲んでいたら電話が掛かってきた。 「もしもし、、、、。」
「ああ、高木さん? 初枝です。」 「何?」
後ろで検査機器のような音がする。 病院だな。
「尚子ちゃんだけど、、、。」 「どうしたんだ?」
「助かったわ。 でもね、、、。」 初枝はそれだけを言うのが精一杯である。
 「どうしたの?」 俺が黙っているものだから康子まで心配して聞いてきた。
「社員が自殺未遂をやっちまったんだ。 今から病院に行ってくる。」 「そう。」
「寝たくなったら俺の布団で寝てていいからね。」 「遅くなるんでしょう?」
「分からない。 朝かもしれないし、、、。」 背広を引っかけながらタクシーを呼び付ける。
 深夜だというのに頭はものすごい勢いで回転を始めた。 ベッドに尚子は寝かされている。
助かることは助かったのだが、その先が分からない。
意識は有るのだろうか? 有ったとしても俺が分かるのだろうか?
 うちに泊まりに来て何度となく抱いた女である。 それだけになおさら心配なのだ。
 昼食を食べながら初めて話したあの日、、、。 「私も気付いたら独身のままでおばさんになっちゃったあ。」
そう言っておどけていたあの日、、、。 ショールームが出来上がって子供のように喜んでいたあの日、、、。
いろんな尚子が浮かんでは消えていく。 本気で妻にしようって考えたことも有るさ。
でもやっぱり最後に戻ってくるのは康子だったんだ。 それだけは変えられなかった。
 それに絶望したのかもしれない。 でもそれなら、、、。

 やがてタクシーは救急病院の玄関前に着いた。 「高木さん!」
ずっと付き添っていた初枝が転がるように走ってきた。 「尚子は?」
「まだね、集中治療室なの。」 「そうか。 油断できないな。」
「そうなのよ。 心臓が弱ってるからって。」 「柳田さんは休んでいいよ。 ここからは俺が見るから。」
「そうもいかないわよ。 同じ社員だし、友達だからほっとけないわよ。」 「有り難いけど少しは休んだほうがいい。 明日には栄田たちも来るからさ。」
「そう? それじゃあ、そうさせてもらうわ。 変なことしないのよ。」 「分かってるよ。」
そこへ看護師が入ってきた。 「呼吸が浅いわね。」
機器を見回してからスイッチを弄っている。 「たぶん、これでいいかな。」
彼女は俺の顔も見ずに部屋を出て行った。
 生命維持装置の乾いた音が響いている。 尚子は時々唸るような声を出しているのだが、、、。
それでも顔は無表情のまま。
「何か有ったらすぐに呼んでくださいね。」 数値を睨みながら医師がポツリと言う。
隣の病室でも救急患者が懸命な治療を受けている。 廊下にまで緊張しきった空気が漲っている。
(俺の母さんもそうだったな。) 事故で死にかけた母親のことまで思い出すとは、、、。

 あれは俺がまだ30歳になる前だった。 夜更けに近所のおばちゃんから電話が掛かってきたんだ。
「あんたのお母さんが病院に搬送されたよ。」 「何だって?」
「交通事故に遭ったんだ。 車で弾き飛ばされたんだよ。」 「で、母さんは?」
「今、集中治療室に居るから行ってあげなさい。」
それで俺は慌ててタクシーを呼んだ。 病室に入ってみると出頭医も深刻な顔をしていた。
「脳挫滅です。 脳が豆腐を踏み潰したみたいにグチャグチャになってるんです。 半日耐えられるかどうか、、、。」
それは最低最悪の状態だった。 脳挫傷でも助かるかどうか分からないというのに、、、。
 そんな状態であっても母さんは奇跡を呼んだ。 2か月ほど経ってからうっすらと意識を取り戻したのだ。
「こんなことは未だかつて聞いたことも見たことも無い。 まったく奇跡ですよ。」」 医師は我がことのように喜んで一般病棟へ送り出してくれた。
 それから母さんは5年も生きて俺を励ましてくれていた。 生命維持装置を見るとあの日のことを思い出すんだ。
「尚子、、、。」 力の無い手を握ってみる。
「また笑ってくれよ。 いつもみたいにさ。」 隣の病室から鳴き声が聞こえてきた。
そして静かにドアが開いた。 「高木さん、、、。」
「柳田さん、帰ったんじゃなかったのかい?」 「どうしても心配なのよ。」
「そうか、、、。 じゃあ栄田たちが来るまで居てもいいよ。」 「ありがとう。」
初枝も用意されている椅子に体を落とすと尚子の顔を覗き込んでいる。 「意識が戻ってくれたらいいんだけどな、、、。」

 いつの間にか朝になった。 そして仕事前だというのに栄田たちが飛び込んできた。
「尚子ちゃんは?」 「寝たままだよ。 意識はまだ戻らない。」
「何で自殺なんか、、、?」 「分からない。 俺だってどうしていいのか困惑してるよ。」
「そうだな、、、。 事務室は神田さんに任せてはあるけど、、、。」 「尚子ちゃん、、、。」
いつもおどけている河井も今日ばかりは深刻な顔をしている。 尚子の手が動いた。
「何か探してるぞ。」 栄田が俺の顔を見る。
俺はそっと尚子の手を握ってみた。 冷たい手だった。
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