二人でお酒を飲みたいね。
 (尚子はまだ死ぬんじゃないぞ。 やりたいこともたくさん有るだろう? 死ぬんじゃないぞ。) 祈るような気持ちで手を握っている。
「これからどうする?」 「どうするって言われても困るよ。」
「それもそうだな。 会社のほうも大変だし、、、。」
 その社内では沼井が対応に追われていた。 「事件性は無いようですね。」
捜査員たちはそう言うとさっさと引き上げていった。 その事務室は尚子が倒れていた辺りに毛布が敷かれている。
「何で自殺なんか、、、。」 後を任された神田美幸も信じられない顔である。
 午後になると事務室を避けてみんなが退社していった。 誰も居なくなった社内で沼井は一人、社長室に籠っている。
そこへ初枝が飛んできた。 「おー、柳田さん。」
「沼井さんはまだ居たんですか?」 「なかなか帰れないよ。 考え込んでしまって、、、。」
「尚子ちゃんなら栄田さんも河井さんも高木さんも付いてくれてます。 まだまだ危ない状況ですから。」 「そうか。 俺も寄ってみるよ。」
「お願いします。」 初枝はそれだけ言って自分の部屋へ入っていった。
 ショールームは取り合えずの営業中。 先が見えない中でみんなは走り回っている。
「この会社、事件多過ぎだなあ。」 「今は言わないの。 お客さんたちが居るんだから。」
売り場を担当している中島愛も気が気ではない。 誰かが事件の話を始めたらものすごい顔で睨みつけてくる。
営業は8時までである。 成り行きを見守っていた沼井も安堵したのか、病院へ向かった。

 病室では相変わらず生命維持装置に繋がれた尚子が眠っている。 呼吸も浅くなったり深くなったり安定しない。
弱っている心臓にも時々処置が加えられてなんとか動いている状態。 栄田も河井も初枝も入れ代わり立ち代わり見守りを続けている。
「ああ、栄田君。」 そこへ神妙な面持ちで沼井が入ってきた。
「社長、、、。」 「どんな具合なんだ?」
「一進一退です。 親族が居れば任せられるんですが、俺たちが見てないと、、、。」 「無理はするなよ。 医者に任せる時は任せたほうがいい。」
そう言いながら沼井も尚子の顔を覗き込む。 マスクが邪魔して口元が見えない。
何か喋っているのにそれが読み取れない。 みんなはまた黙り込んでしまった。

 人はいつか必ず死ぬものだ。 何も無くてもその時は必ずやってくる。
それがいつかは誰にも分からない。 分からないからこそ人は懸命に生きようとする。
そうじゃないかね?
 死ぬ日が分かっていたなら必死に生きようなんて思わないよ。
 昔、『銀河鉄道999』というアニメが有った。
永遠の命と言われる機械人間もいつかは壊れて死んでいくのに、今だけを楽しんでいる。 その虚しさを俺たちは学んでいたはず。
なのに今は「今さえ良ければいい。」という人たちが増えてしまった気がする。 なぜだろう?
それは自分という物をあまりにも軽く見過ぎているからじゃないのか? 人の命は地球よりも重いんだ。
そしてこの宇宙よりも大きいんだ。 それはなぜだか分かるかい?
もちろん、俺だってその全てを分かったわけじゃない。 でもさ、懸命に生きていると見えてくる物が有るんだよ。
それは人を愛すること。 男も女も関係無く愛すること。
いがみ合ってばかりじゃつまんないじゃないか。 そりゃ時には「こんちきしょう!」って思うことだって有るだろう。
殺したいくらいに憎むことだって有るだろう。 でもその時だけなんだよ。
だって感情は絶え間なく動いているんだから。
 国同士でもめることだって有るだろう。 殺し合いたい時だって有るだろう。
でもね、その時は解決しても巡り巡ってまた同じことをやる。
だったら最初からやらないことだよ。 やるからやられるんだ。
そんなことばかりして楽しいか? 俺はちっとも楽しくなんかないよ。
そうだろう? 何千年も怨み合ったって結局はつまらないじゃないか。
 ご先祖さんの恨みをいつまでもしょい込んで戦うなんて俺は嫌だよ。

 今夜も尚子は眠ったまま。 目を開けることも起き上がることも無い。
(ここまで追い詰めてしまったのは俺なんだよな。) 物言わぬ尚子を見詰めながら懺悔してしまう。
(出会わなかったらこんなことにならなかったんだよな。) 静かな部屋の中で俺は悔いることしか出来ないでいる。
優柔不断だった。 それでいて康子を切ることも出来なかった。
このまま俺も死んでしまいたいとさえ思えてくるのだ。
ぼんやりと椅子に座っていたら何処からか声が聞こえてきた。 「あなたは死んじゃダメ。 会社のためにも奥さんのためにも。」
 そこには笑っている尚子が立っていた。 「私はいいのよ。 あなたの傍に居られただけで。」
そう言うと影は音も無く消えてしまった。
 ドン! テーブルに頭をぶつけた俺は目を覚まして尚子を見た。
「さっきより息が荒くなってるぞ。」 無我夢中で酸素マスクを取り外すと、、、。
「ありがとう。 ありがとう。」という小さな声が聞こえて、、、。 しばらくして心電図の音が消えた。
「高木さん!」 そこへ初枝が飛んできて尚子の手を握ったが、、、。
 「お医者さん 呼んできますね。」 そう言って部屋を出て行った。
「ご臨終です。」 最後の診察をした医者はポツリとそう告げた。 「あとは俺に任せてくれ。」
俺はこれまでの責任を強く感じていた。 結婚するともしないとも言わないままに遊んでしまったんだ。
尚子は俺が思う以上に俺のことを愛してくれていた。 それに俺は気付かなかったんだ。
なぜなんだろう? 康子と戻れるなんて思いもしなかったし、他に誰かを愛せるとも思えなかった。
だけど尚子を心から愛せなかったんだ。 何処かに迷いが有ったんだな。
可愛いしスタイルもいい。 男が居たって不思議じゃない女だった。
 でもそんな尚子は康子に気を使っていたんだ。 「いつか奥さんが戻ってきたらいいのにねえ。」
そんなことをポツンと言い出すものだから焦ったよ。 「そんなこと分からないよ。」
「でもさあ、箪笥とか机とか置いてるじゃない。 どっかに奥さんが居るのね?」 「それは、、、。」
 おどけながらくっ付いてきてもどっか寂しそうだったな。 だからか、抱いた時はかなり激しかった。
栄田たちとやり合ってる時も尚子は俺の隣に居たんだ。 「おー、高木さん お似合いじゃないか。」
「あらそう? 河井さんには分かるのねえ。」 「ぼくちゃんも分かってまーす。」
「え? 栄田さんも分かってたの? 信じられないなあ。」 「何だよ それ。」
「だってねえ、栄田君ったら尚子ちゃんをずーーーーっと狙ってたのよ。」 「ワーーー、言うな言うな!」
ああして集まると楽しかったな。 でも終わってしまった。
「高木さん、祭場に行くんでしょう?」 「ああ。 家には康子が居るから、、、。」
「奥さん 独りぼっちにするの?」 「後で連れて行くかも。」
「かも、、、じゃなくて連れて行きなさい。 奥さんが居ない間、ずっと傍に居たんでしょ?」 「ああ、、、。」
「そこよ。 高木さんが煮え切らないから尚子ちゃんも思い詰めちゃったのよ。 はっきりする時にははっきりしなさいよ。」
初枝は泣きそうな顔でお説教をする。 その間に尚子の出発準備が整ったようだ。
病院の裏口から黒いワゴンに乗せられた尚子は出発した。 午後6時には祭場に到着する予定である。


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