角砂糖が溶けるように

2-4 学生の本分

 八月中旬といえば、お盆だ。
 世間は田舎に帰省したり、親戚が集まったりしている。川瀬家も例外ではなく、光恵は実家に里帰りしていた。けれど、事情があってわりと早くに帰宅した。麻奈美は大夢の手伝いがあるので、留守番だった。

 朝晩はわりと涼しいが、昼間は外に出られたものではない。
 だからお墓参りは必然的に夕方になってしまう。普段、麻奈美と平太郎は別々に暮らしているが、お墓参りは一緒に行った。その帰り道。

「おーいっ、麻奈美ーっ!」
 突然、後ろから誰かに呼ばれた。
 振り返ると、畳んだ提灯(ちょうちん)を持った少年──修二が走ってやってきていた。これからお墓に行くのだろうか。聞いてみると、やはりそうだ。
「ひとり?」
「いや、ばーちゃんと一緒……あそこ。足悪いのにどうしても行くって言うから。俺が車運転出来たら良いんだけどなぁ」
「偉いねぇ。ほら、早く戻ってあげなさい、呼んでるよ」
 最後の言葉は平太郎だった。
 麻奈美には「じゃあな」と言い、平太郎には軽く会釈をし、修二は後ろの祖母のもとへ戻っていった。

「修二君も大きくなったねぇ」
「そうかな。学校では相変わらず変なことばっかり言ってるけど」
「まぁ、そういうもんだよ。高校生は」
 ははは、と平太郎は笑った。
「おじいちゃんが先生だった頃も?」
「そうだなぁ。だいたい、男はうるさかったな」
 ふぅ~ん、と聞きながら、麻奈美は学校のことを考えていた。
 クラスで仲良くしている男子生徒は修二と光輔の二人だが、それ以外の男子生徒も確かにうるさいな、と思った。麻奈美とはほとんど接点がないが、先生に注意されているのはほとんどが男子生徒。
「修二君とは、仲良いのか?」
「え? ただの友達だよ」
 それには平太郎は「そうか」とだけ答え、やがて大夢に到着した。

 いつもは不定休をとっている大夢だが、お盆は連休になっていた。その間、店には行っていなかったし、もちろんどの客にも会っていない。
「みんな元気かな。チヨさんはこないだ会ったけど」
 大夢のドアにかけられた『closed』の札を見て、麻奈美が呟いた。
 チヨは隣の家に住んでいるので、たまに挨拶をしている。
「こないだ芝原から電話があったよ。店はいつから開くかってね。サブちゃんは、病院で会ったよ」
「病院?」
「ああ……最近どうも、足腰が悪い。だから麻奈美が泊まってくれると心強いよ」
 麻奈美は平太郎の体のことが気になったが、平太郎が話を店のほうへもっていくのでそれ以上のことは聞けなかった。

 数日後、大夢は盆休みを終え、営業を再開した。同時に両親がハワイ旅行に行ってしまったので、麻奈美はしばらく大夢で暮らすことになる。
 いつもより少し早めに準備をして、店内の掃除をした。
 たった数日のあいだに、テーブルは埃で白くなってしまっている。軽くふいただけでも、布巾は真っ黒だ。

 麻奈美が店内の掃除をしている間、平太郎はコーヒーを淹れていた。あまりコーヒーが好きではない麻奈美だが、久々の香りに懐かしさを覚えた。掃除している手を止めて、思わず息を吸い込んだ。
 それは麻奈美だけではないようで、店の外にはもう店が開くのを待っている人の影が見えた。開店まではまだ十五分ほどあるが、
「早いけどもう開けよう。外で待ってるのも暑い」

 平太郎に言われて麻奈美がドアを開けると、
「どうぞ──芝原さんっ? どうしたんですか、その格好……」
 普段はきちんとしている芝原が、なぜか少し乱れた服装をしていた。
 着ているものは普段と変わらないが、整ってはいない。
「あ──ちょっと作業しててね……」
 と言いながら、芝原は店内へ入った。
 カウンター越しに見ていた平太郎は、何も言わずに黙って『芝原セット』を用意していた。芝原は荷物を置いて服装を直してから、指定席についた。

「やっぱり落ち着くなぁ、ここは」
「そう言ってくれると嬉しいよ。今日は──何か付けるのか?」
 芝原は夕方から来ることが多いが、今はまだ十二時になっていない。この時間に来る時は、コーヒーのほかにサンドイッチかトーストをつけている。
「えーと、そうだな……あ、マスター、もうコーヒー入ってますか」
「いや、まだだ」
「それじゃ今日は」
 グゥー……グゥゥーー……

「あはは、すみません、朝から何も食べてなくて」
 鳴いたのは、芝原の腹の虫だった。
「まったく、手のかかる奴だ」
「そんな、ただお腹が空いてるだけですよ」
「どんなに忙しくても、朝はきちんと食べなさい」
「はい……」

 そんな二人の会話を見聞きしながら、麻奈美はお盆を持って笑っていた。いつもの芝原セットを運ぶわけではなさそうなので、とりあえずおしぼりと水を運んだ。
「お腹は空いてるけど、暑くて食欲ないんだよなぁ」
 メニューをぱらぱらとめくりながら、芝原は呟いた。
「でも、お腹鳴ってると勉強出来ないからなぁ」
 決して多いとは言えないメニューのページを何回も往復して、芝原が注文したのは夏野菜カレーだった。芝原は麻奈美に注文していたが、芝原のほかに客はおらず、平太郎との距離も近かったので、彼にも聞こえていた。

「ところで麻奈美ちゃん、今日は早くない?」
 おしぼりで手を拭きながら、芝原は尋ねた。麻奈美が店に来る時間は、夏休みになっても普段とあまり変わらなかった。けれど今日は、それよりも何時間も早い。
「昨日から泊まってたんです。両親が今日から旅行で留守なので」
「ふぅん……。宿題は終わった?」
「はい。だからしばらくは勉強のこと忘れます!」
 麻奈美が嬉しそうに言うと、
「こら麻奈美、高校生の本分は勉強だよ」
 平太郎の声が調理場のほうから聞こえた。
「……はーい」
「ほんとに相変わらず厳しいよ、先生は。麻奈美ちゃんも大変だね」
 後半の言葉は、声量を小さくして平太郎には聞こえないように言った。麻奈美は笑いながら、肩をすくめた。

 そんなうちに他の客もやってきて、麻奈美は注文を取りにいった。平太郎が作っていた夏野菜カレーも完成し、今度は平太郎が運んだ。
「ニンニク多めにしといたよ。スタミナ付けなさい」
「ありがとうございます……」
「コーヒーはいつもので、食後で良いんだな?」
「はい」
「食べたら勉強するんだよ。学生なんだから」
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