角砂糖が溶けるように

9-6 卒業式の日

 翌朝、麻奈美は笑顔で登校した。学校中に花が飾られ、教室の黒板も綺麗な絵と担任からのメッセージが書かれていた。
「今日で卒業だね。寂しいなぁ」
「絶対、また会おうね!」
 麻奈美が元気なのは昨日のことを忘れるため──そう判断した友人たちは、芝原のことには一切触れなかった。昨日のことは、修二にもすでに伝えられている。
「長かったなぁ、やっと修二と離れられるんだ!」
「何だよ麻奈美、寂しくねーのか?」
「うん。むしろ嬉しいかも」
 笑いながら麻奈美が言うと、修二は悲しそうな顔をした。
 もちろん、修二のことは家族みんなが知っているので会話に出てくることはあるだろうし、ときどき大夢に顔を出すとも言っていた。関係が切れる日はおそらく来ない。
「ねぇ、修二、お願いだから、学校まで来ないでよ?」
「おお、その手があったか! 麻奈美がダメでも、香織ちゃんが気に入ってくれるかも」
 もちろん香織と修二は面識がない。
「残念ながら、香織ちゃんには修二のことも話してあるから。変なストーカーがいて大変だよ、って。笑ってたよ」
「じゃ、じゃあ、麻奈美のストーカーを続けようかな……」
 それから担任が現れて、卒業式のために会場へ移動した。
 会場前方の教員席にはもちろん芝原もいたけれど、麻奈美はその方向は見なかった。クラスの代表で卒業証書をもらう時も、在校生と教師たちで作られた花道を通って退場する時も、麻奈美は前しか向いていなかった。
 教室に戻ってから、今度は担任から個別に卒業証書を受け取った。自分の席に戻る前に、教卓の前で卒業後の進路や将来の希望を話した。麻奈美はもちろん、いつか大夢を引き継ぎます、と笑顔で言った。
 場所を近くのホテルに移して、謝恩会が行われた。
「これ、何の味付けだろう? すごく気になる」
「麻奈美ちゃん……気にするとこ違うから」
 生徒ほぼ全員は、ステージでの催しに注目していたけれど。
「あ──うん。でも、気になるんだもん」
 麻奈美の関心は、目の前に並べられた料理。ナイフとフォークをいくつも使うお店にするつもりはないけれど、気にしてしまうのは料理が好きだから。料理の味付けや盛り付けを気にしながら、麻奈美は友人たちとの最後の時間を楽しんだ。いっぱい食べて、いっぱい笑った。
 帰り際、ロビーで出来ていた人だかりに近付かなかったのは、前を歩いていた修二がそこを避けて通ったから。麻奈美の目には、何も見えていない。

 カランコロン……
「おや、麻奈美ちゃん。今日は卒業式だったんだねぇ」
 麻奈美が荷物を持って制服のまま大夢に顔を出すと、チヨと三郎が迎えてくれた。二人はいつも通りカウンター席に座って、ホットコーヒーを飲んでいた。
「うん。卒業式と謝恩会で、友達と喋ってたら遅くなっちゃった」
「今日は来ないと思ってたよ」
 平太郎が姿を現し、麻奈美に「何か飲むか?」と聞いた。
「ううん、もう帰らないと、お母さんが待ってるから。来るつもりはなかったけど、なんとなく足が向いて……」
 カランカラン──
 ドアに付けた鐘の音に麻奈美が振り向くと、よく知った姿がそこにあった。
「それじゃ、また来るね!」
 麻奈美はそのまま、大夢から走って出て行った。
 やって来た常連客に挨拶もせずに。
「そんなところに立ってないで、座ったらどうだ」
 平太郎がそう言うと、芝原はようやく三郎の隣に一つ席を空けて座った。麻奈美と同じ謝恩会帰りなので、スーツを着て荷物も持っている。
 平太郎はとりあえず、いつも通り彼にセットを出した。
「麻奈美を泣かすのは何回目だ」
「え? ああ──もう知ってるんですね……」
「昨日、麻奈美の母親から電話があった。目が腫れるくらい泣いてたみたいだ。まったく、どういうつもりだ」
 平太郎の芝原を見る目はいつもに増して厳しかった。
 その理由は芝原も理解していた。嫌な思いをされても仕方がない。
「誤解なんです。僕は、本当に浅岡とは何もないんです」
「じゃあ、どうして一緒にいたんだ。よりによって、あんなところに」
「それは──」
 浅岡と会っていた理由を言おうとして、芝原は口を閉じた。
 平太郎より先に、本当は麻奈美に言いたかった。
「どうした、言えないのか。悪いことなのか?」
「いえ、違います。本当に、僕は……」
 言葉を慎重に選びながら、浅岡といた理由を芝原は正直に話した。
 最初に目撃されたときのことも、麻奈美に見られた昨日のことも、浅岡と話していた内容も全て平太郎に話した。
「それは、本当なんだろうな」
「はい。嘘なんかつきません」
「それなら、早いうちに麻奈美に言わんと、また前みたいになるぞ。私だって、もうあんなのは見たくないからね」
 そのとき、滅多に鳴ることのない大夢の電話が鳴った。時計の針は午後六時を指していた。
「はい──ああ、一時間ほど前に来てたけど、すぐに帰ったよ」
 平太郎が芝原のほうを見た。相手は麻奈美の母親だろうか。
「え? 本当にすぐだよ、何も飲まずに……なんだって? ああ、わかった」
 受話器を置いてから平太郎はしばらく黙っていた。
「あの、麻奈美ちゃんが何か……?」
「まだ──家に帰っていないらしい」
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