甘い香りが繋ぐ想い
「何故?」

信忠は息を呑むように問いかけた。

「やはり、そうなのですね……」

しばらく天井を仰いでいた信松尼が体を起こそうとする。信忠は慌てて支えた。

初めて直接触れた体は、細いけれど温かい。
息が頬にあたるほどの距離に美しい面貌がある。
胸がじわりと熱くなった。

「信忠様……」

信忠は何も答えず、信松尼を見つめる。

「行方知れずとなった親兵衛が目の前に現れた時、わたくしは親兵衛ではない。信忠様だと感じました。そして、それが確信に変わったのは、子どもたちの相撲の相手になって欲しいと頼んだ時です」

相撲……

信忠は記憶を辿る。

「『親兵衛』と名を書いていらしたでしょう。その文字は、信忠様と同じものでした。そして、信忠様、貴方様からの文は、いつも甘い香りがしておりました。貴方様から漂うその香りです」

「香り?」

「はい」

言い切った信松尼の目は、しっかりと信忠を見つめている。

「貴方様が何故親兵衛として生きておられるのか、わたくしの中で答えを見つけることはできませんでしたが、貴方様が、わたくしのもとへいらしてくださったこと、ずっと存じ上げておりましたよ。
今まで黙っていて申し訳ございません」

「謝ることではないであろう。謝るのは我の方じゃ。そなたの大切な者たち」

信松尼の指が信忠の口を押さえ、ゆっくりと被りをふった。

「姫……」

「致し方のないことです。ですから、謝ることではございません。運命なのです」

「運命、か……」

「はい」

「姫、これから先、我の魂だけは永遠に生き続けていくようだ」

「魂だけ、永遠に?」

「そうじゃ。今もこうして親兵衛の肉体を借りて生きておる。どうやら我の運命のようだ」

「それが貴方様の運命ならば、いつか、わたくしは生まれ変わり、あなたの元へ参ります。貴方様の甘い香りを頼りに、必ずや探し出してみせます。その時が来たら、二人で穏やかに暮らしましょう」

「そうじゃな。我も、探し出してみせようぞ。何十年、何百年かかろうとも、必ずそなたを見つけ出す。しばしの別れじゃ」

「今まで傍で見守ってくださり、松は嬉しゅうございました。信忠様、またお会いしましょう」

信忠は松姫の手を包むように握った。松姫もまた強く握り返す。

信忠は愛しい松姫をそっと抱きしめた。

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