スイート×トキシック

 何だかひどく疲れた。疲れ果てた。
 呆然として何も考えられない。

(痛いよ……)

 空っぽの身体に残った感覚はただそれだけ。

「ちゃんと反省してね?」

 十和くんの手が、唇の傷を撫でる。
 指先についた血を彼はぺろりと舐めた。

「俺がいないときも、痛みで俺のこと思い出して。俺のことだけ考えて」

 意識が朦朧(もうろう)として、視界が揺れた。

 いっそのこと気を失ってしまえれば楽なのに、全身をついばむような痛みがそうさせてくれない。

「芽依には俺しかいないんだから」

 そう残して、彼は部屋から出ていった。



 ひとりになっても金縛りが解けない。
 水底(みなそこ)に沈んだみたいに、身体が重くて息が苦しい。

 だけど、脚を折られたり腱を切られたりせずに済んだのは不幸中の幸いだ。
 さすがに気が引けたか怯んだのかもしれない。

「う、ぅ……」

 いまになってやっと、逃げ出すのに失敗したことの意味が分かってきた。

 結果的に十和くんを(あざむ)き裏切ってしまったことで、せっかく手に入れた平穏が消え去った。

 ふかふかの布団もあたたかいご飯も、取り上げられるかもしれない。
 多少の快適さも自由もなくなる。

 そうしたら、手足を拘束されたまま硬く冷たい床で眠る日々に逆戻り。

 それは紛れもなく、わたしが自ら手放した。

「う、あぁっ!」

 麻痺(まひ)していた心が我を取り戻し、一気に激情がなだれ込んでくる。

 悔しい。本当に悔しい。
 希望の光に手が届きそうだっただけに、なおさら。

 ぽろぽろとあふれた熱い雫が傷に染みる。

(ばかだ、わたし……)

 正しさも何もかも見失っていた。
 十和くんを正当化しないと、耐えられそうになかったから。

(でも、ちがう)

 こうなったのは、わたしのせいなんかじゃない。
 わたしが悪いわけがない。

 彼の(たぎ)るような瞳を思い出すと、理不尽な状況に怒りが込み上げてきた。
 ぜんぶぜんぶ、十和くんの身勝手でいびつな恋心のせいだ。

(何で、わたしがこんな目に遭わなきゃいけないの……)

 すべてが振り出しに戻った。
 いや、十和くんの怒りを買っているという点でマイナスだ。

 フォークも取り上げられたし、脱出に関しては今後ますます警戒を深めるにちがいない。
 監視の目はいっそう鋭くなり、これまで以上に隙がなくなる。

(あと少しで、先生に会えるはずだったのに……)

 唇を噛み締めながら目を閉じると、力が抜けた。
 何だかもう、何も考えたくない。
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