後宮毒見師伝~正妃はお断りします~

調理場にて

「任先輩が思っているようなことは起こってませんからご安心を」
「そうですか。では、存分に私を主張出来ますね。さすがにあの方が相手では敵いませんから」

 にこにこ笑う任明願(レン・ミンユェン)を見て、この男はどこまで知っているのか寒気がした。
 一人きりになって、改めて自分に問う。

「こっちの気持ちは考えないのかな」

 そう思うと、本当に想ってくれているのか分からなくなった。調子を乱され、やるべきことが出来なくなる。これは恐ろしいことだ。

「よし、とりあえずこの件を悩むのは止めよう。誘われても断る。これだけ」

 夏晴亮(シァ・チンリァン)は課された任務をやり遂げるため覚悟を決めた。

 この一か月、何もしなかったわけではない。第二皇子はあまり後宮をうろつくことはないが、たまに廊下で見かけること。そして、一度だけだが、調理場に行ったことも確認出来ている。つまり、彼は母と同じ行動をしていたのだ。

 わざわざ調理場に出向く理由は無い。親子して何が目的なのだろう。毒を入れる隙を狙ってか、他に料理のことで見ておきたいことがあるのか。夏晴亮は思い切って料理場へ行くことにした。

 何も用事が無いのに調理場へ行くのは不自然なので、馬宰相に頼んで、毒見用の盆を持つ役目を自分ですることにした。

「こんにちは」

 料理人たちが忙しく動いている。まだ昼餉には早い時間だが、後宮全体の料理を任されているので今から動き出さないと間に合わないのだろう。もっと暇な時を選べばよかった。夏晴亮が帰ろうか迷っていると、近くにいた料理人が答えてくれた。

「こんにちは。見ない顔ね。あ、噂の美少女!?」
「そんな噂は無いので別人だと思います」
「そうかな~そうかな~」

 ぐいぐい来る料理人は三十代程の女性で、眼鏡を光らせながら近づいてくる。

「あの、私、毒見用のお盆を受け取りに参りました」
「ああ、馬宰相の代わりにって子か。ちょっと待ってて」

 料理人が机に置かれていたお盆を持って帰ってくる。

「じゃあ、君が毒見師?」
「そうです」
「毒見師の邪魔をするな。持ち場に戻れ!」

 どこかで会った男性が料理人を叱咤する。たしか、毒見師となったばかりの頃に見た料理人だ。おそらくここの長だろう。

「あらら。ばいば~い」
「確かに受け取りました。有難う御座います」

 手を振る料理人に頭を下げ、調理場を後にする。

──調理場は料理人が忙しく働いていて、王族の方がゆっくり出来る場所も無い。何故あそこに、一人で……。ただ、あれだけ忙しければ、たった一人が毒をこっそり入れたとしても気が付かないかも。
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