純潔嗜好男子


「あの…昨日は咄嗟にとはいえ、叩いてしまって申し訳ございませんでした。」

「あ〜。いいよいいよ。お陰であの子絞め殺さずに済んだしね。それに、君にまた会えたから結果オーライ。シノに頼んどいて良かったわ〜。」

私が頭を下げれば、微塵も怒っているようには見えない。そしていつの間にやら、隣に掛けてした氷室は、カウンターに肘を突いて屈みながらこちらを見つめている。


すると、前方から黒髪の男が氷室に声を掛けた。

「お前は何飲むの?」

「んー…俺車で来てるんだよね〜。」

「それならビールにしとくか?」

「お前人の話聞いてたか?この後、志歩ちゃんとドライブデートすんだよ。」

「うるせーな。売り上げ貢献しやがれ。」

そんな二人のやり取りを無表情で見ていれば、黒髪が渋々とお茶を出す。

「これ飲んだら行こっか。」

勝手に乾杯されるが、「いえ、私は昨日の支払いに来ただけなので…申し訳ないんですが、精算お願いしてもよろしいですか?」

ここに長居する気は微塵もないし、況してやなぜデートする前提なんだ。

氷室から黒髪へと視線を配らせれば、「あー…昨日の分はコイツが払ってるからお金要らないんだよ。」と返事が返ってきた。

てことは、つまり、私を呼び出す為に…でも、どうして奢られなきゃいけないんだ。

「お幾らですか?後味悪いんでお支払いします。元はと言えば、私の連れが氷室さんに粗相をしてしまったみたいですし、それに…暴力を振るってしまったのに、どうして…」

財布を取り出そうとすれば、隣から手が伸びてきて、それを制された。

「俺の前で財布なんて出さないでよ。それに昨日の…えっと何て言ったっけ?あんず?あんこ?だっけか。あの子は知らなかったから罰が降っただけ。俺に近付いて来た時はそれなりに知ってる素振りにも見えたけど、暗黙の了解ってのがあるんだよ。」

「…暗黙の了解?」

「そうそう。シノ…いや篠宮と伊賀は別だけど、俺は別に女好きじゃないし、寧ろ嫌いの類い。勝手に触れられるのは死ぬほど嫌い。あんこが俺に絡んできた時なんて虫唾が走った。で、志歩ちゃんが席外したら調子付いてヒートアップしてきて、目の前にあの女の顔面が迫ってきた時には、堪忍袋破裂〜。正当防衛とは言い難いけど、あの子の首を絞めてしまったのは本当に申し訳なく思うよ。あんなんでも、君の仕事の邪魔…というか、場の空気を悪くした上に、君を怒らせてしまうだなんて…俺の方こそ本当にごめんって意味での奢りなんだけど。」


杏奈の名前を覚えてもない辺りは、彼女には悪いが心の中で笑ってしまう。だけど、女嫌いって言っといて、どうして私に纏わりついていたのだろうか…どうにも不思議な話である。

「それはそれ。これはこれじゃないですか。確かに私は…上司の娘さんを護らなきゃいけなかった。でも、可笑しくないですか?」

「どこが?」

「私、男じゃないですよ?」

「うん。分かってるよ。」

「なら、なんで…」

なんで、女の私に…

「志歩ちゃんは俺が嫌いな女ではないんだよねー。それにもう君の事が気になって仕方がないし、もし君以外の子だったら、容赦してないかもね。」

益々意味が分からない。この男の基準ってのはやっぱり可笑しい。

いつ、どのタイミング?氷室は初めっから、私に纏わりついて…それに、自分から顔を近付けてきた。

そして昨日の事を思い出しながら、辿り着く視線の先には氷室の唇。「なに〜?俺とキスしたくなっちゃった?」となんとも間抜けで甘ったるい声が掛かり、私は咄嗟に「違います。」と冷たく言い放っていた。

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