幸せでいるための秘密

猫も杓子も波留樹

・本編17~26ページ間の話(波留と百合香の平和なルームシェア期間中)
・百合香視点一人称
・コメディです





 会社ののどかなお昼休み、オフィスの隅に設置された古いテレビではワイドショーが流れている。

 わいわいがやがや、賑やかさだけが取り柄みたいなその番組を、本気になって観ている人は少なくともここにはいない。みんな各々のお弁当を食べながら、単なる時間つぶしとしてテレビへ目を向けているだけだ。

「ねえねえ百合香ちゃん聞いてよぉ」

 お弁当片手に椅子を寄せてきたのは、隣の席に座る先輩の女性社員さんだ。年は私より7,8上かな。ちょっと濃い目のお化粧が特徴。たまに面倒くさいこともあるけど、基本的には優しく厳しい仕事のできるお姉さんだ。

「どうしたんですか?」

「私、また失敗したみたいでさ。こないだアプリで会った男、写真だと超イケメンだったのに会ってみたらめっちゃくちゃデブで! なんか十年前の一番痩せてた時期の写真を使ってたんだって! もうサイッテー!」

「あらら、写真詐欺ですね」

 この話、たぶんもう三回目くらいだ。先輩はマッチングアプリを使って彼氏探しをしているようだけど、もう何回も嘘の写真や経歴に騙されている。

 アプリをやめて結婚相談所とかに聞いてみたらいいんじゃないかなと、毎回言いそうになるのだけど、ただの同僚である私がそこまで口出しするものじゃない。結局今日も苦笑しながら、先輩の愚痴を聞くだけに留めた。

「はーあ。どこかに良い男転がってないかなぁ。ああいうイケメン弁護士みたいな」

 イケメン弁護士?

 先輩の視線を追いかけてみると、ワイドショーが終わりちょうどCMが始まったところだった。法律のご相談なら、竹中黒田法律事務所へ。いつでもお待ちしています――

(……波留くん……?)

 そこに映っているスーツの男性は、どこからどう見ても波留くんだ。俳優顔負けの爽やかさで事務所の前で微笑んでいる。よく見れば右下にしっかりと名前が載っていた。竹中黒田法律事務所、弁護士、波留樹……。

「ああん良い男! 目の保養! もうちょっと近くで見とこっと」

「こんな美形の弁護士なんていないよー、どうせ売れない役者でしょ?」

 テレビへ這いよる先輩を笑ったのは、向かいの席の係長だ。お年は40半ばくらい。少し前に遅めの結婚をして、可愛い娘さんが生まれたばかり。今は中年太りが気になっている、どこにでもいる普通のおじさまだ。

「夢のないこと言わないでくださいよ、係長! ほら、ここに名前だって書いてあるし! ナミドメ……キ?」

「芸名だよ、芸名。本物の弁護士だとしたら、きっとお客から巻き上げた金で全身整形でもしたんでしょ。そういうもんだよ、世の中ね」

「はーっ、ひがみはよくないと思いますよ! そんなんだから娘ちゃんに『パパのおひげいやぁ!』なんて抱っこ拒絶されちゃうんですよ!」

 ギク、と係長の動きが止まる。剃り残しの多い青ひげをさすりながら、係長は新聞の合間から広告を一枚取り出した。

「ひげ脱毛、しようかなぁ……」

 駅直結、クリーンスキンクリニック。今ならひげの医療脱毛が格安で受けられます!

 力強い文言の隣で、つるつるの顎を見せつけるようにポーズをとるイケメンモデル……ん?

(……波留くん……?)

 さすがに見間違いだろうかと思い、とりあえず目をこすってみた。それでもやっぱり波留くんに見えたから、今度は目薬をさしてみた。

 うんうん唸る係長の肩越しにひげ脱毛のチラシを覗き見る。

 どこからどう見ても、やっぱりそこに映っているのは波留くんだ。

 なんで波留くんが、と思ったけど、言われてみれば波留くんがひげを剃っているところって見たことない。不自然なくらいつるつるのキラキラだった気がする。ということは、ひげ脱毛をしたこと自体はもしかしたら事実かもしれない。

「係長はひげ脱毛より先に中性脂肪をなんとかしたほうがいいんじゃないですかぁ? ほらコッチ!」

 そう言って先輩が引き出したのは、スポーツクラブのチラシだった。スポーツクラブシーナ神奈川、今なら入会金半額! でかでかと書かれたポップの傍らで、ランニングマシンで汗を流している男性は、……

(……波留くん……)

 毎日のようにあの顔を見すぎて、私はとうとう頭がおかしくなったのだろうか。何を見ても波留くんに見える病気? それは今後の人生に大きくかかわる大病と言わざるを得ないだろう。

 右も左も波留樹。猫も杓子も波留樹。

 軽いめまいと頭痛を感じながら、私は周囲の波留樹から逃れるように自分の弁当に集中した。





 その日の夜、珍しく波留くんが早めに帰ってきたので、日中の件を聞いてみた。弁護士事務所のCM、ひげ脱毛、それからスポーツクラブの広告。

 私としてはほんの些細な雑談のつもりだったのだけど、訊ねられた波留くんは雷にでも打たれたみたいに硬直し、真っ青な顔で私を見る。それから、大きな身体を小さく縮めて私の隣に腰かけた。

「事務所のCMは……給料を上乗せしてくれるっていうから、それで……」

「う、うん」

「ひげ脱毛は椎名の知り合いがやってるクリニックで、写真を使わせてくれたら施術代を半額にすると言われて……」

「うん……」

「スポーツクラブは親戚が運営してるところで、チラシに出たらクラブの風呂を無料で使わせてくれるって……」

「…………」

 お母さんに説教される子どもみたいに縮こまりながら、ぽつりぽつりと話す波留くん。

 彼の横顔をじっと眺めながら、私は思いついた言葉をぽろっと漏らした。

「波留くんってもしかして、『無料』とか『お得』とかに弱いタイプ?」

 その瞬間、波留くんはびくっと肩を震わせるとくずおれるように頭を抱えた。ぎょっとする私に構わず彼は食いしばるような声で言う。

「もう、しないから……!」

「あ、別にそんな、馬鹿にしてるわけじゃないから! ただちょっと意外だなぁって思っただけで!」

「だいたい俺は椎名ほど裕福じゃないんだよ。でも、こんな、格好悪い……」

 元社長さんの椎名くんと比べれば、世の中の大半の人が貧乏呼ばわりになるだろう。現役弁護士の波留くんだってお仕事を始めたばかりなのだから、貯金がそんなに多くないのは別に驚くことじゃない。(その割には良い家に住んでるけど)

 ただ、波留樹のキラキラした見た目イメージと比べれば、ほんの少しだけギャップに感じてしまうというだけだ。そのギャップだって、なかなか庶民的で良いんじゃないかと思うのだけど。

「そんな気にすることじゃないよ、落ち込む必要なんて、全然」

 なんだかよくわからないまま、彼の背を叩いて慰めてみる。

 波留くんはわずかに顔を上げると、私の顔色を伺うようにちらりとこちらへ目を向けた。

「好きな女の前で格好つけたいと思うのは普通のことだろ……」

 ……ああ、もう。

 頭を抱える波留くんの隣で、今度は私が色づく頬を隠すように頭を抱える番だった。



おわり

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