幸せでいるための秘密
 緩やかなさざ波が、浜辺と海のはざまで寄せては返すを繰り返している。

 その向こうの水平線では、ちょうど夕陽が水面の彼方へと沈み始めたところだった。青い海の奥が橙に染まり、入れ替わりに空から少しずつ夜の帳が降りてゆく。

 私の足元を行き来していた波留くんの瞳が、伺うように、ためらい気味に私の方へと向けられた。私は――もう、ありのままでいいと思った。彼を落ち着かせるための演技とか、帰り道に気まずくならないための芝居とか、そういうのを全部かなぐり捨てて、私の心がそのまま映る素直な感情を言葉にした。

「かわいい」

 それが私の、本音だった。

「か、……え?」

「波留くんのこんなかわいいところ、初めて見たかも」

「かわいい? ……俺が?」

「うん」

 もしかして、今まで一度も言われたことがなかったのだろうか。波留くんは明らかに戸惑いながら、視線をあちこちに泳がせている。珍しい顔。そこがまた、私の胸を刺激する。

「かわいいよ、すごく。いつもの格好いい波留くんも素敵だけど、こういう波留くんも私は好き。一生懸命考えて、それでもうまくいかなくて、行き当たりばったりで行動して、しかも最後に謝るなんて……もうめちゃくちゃだよ」

 う、と唇を結んだ波留くんが、気恥ずかしそうに目を逸らす。

 私は一歩前に出て、少し背伸びをして腕を伸ばした。波留くんの両頬を手のひらで包み、私の方へ向けさせる。

「波留くんの弱いところを、やっと見せてもらった気がする」

 波留くんの困惑した瞳に、私の顔が映っている。清々しい、素直な微笑み。きっと、ずっと前から心に芽生えていた、後ろ向きで内気な私の本心。

 両手を降ろす。

 無限に広がる水平線に、夕陽が今、飲み込まれようとしている。

「波留くん」

「……はい」

「私のこと、好きですか?」

 一瞬息を飲んだ波留くんが、表情を正して私を見つめた。

「はい」

 いっさいの曇りのない、自信に満ちた言葉だった。



「私も、波留くんが好きです」



 冷たい潮風はいつのまにか止み、あたりは夕凪の静寂に包まれていた。

 夕陽の消えた水平線に橙色の影を残して、空と海とがその両端から深い夜闇に覆われていく。

 波留くんの長い指が、私の頬にそっと触れた。それを合図に、私も少しだけつま先を立てて背伸びする。

 夕陽の名残が消える海を背に、私たちの唇が重なった。


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