呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~
三章 路地裏の女性霊

15話 王子に気に入られる


     二章


過剰すぎる研修からベッティーナが解放されたのは、リナルドの屋敷へとやってきて、約一月後。
ペラペラによる書庫封鎖事件が起こってから、一週間ほど後のことだった。
 もちろん、研修の時間がすべてなくなったわけじゃない。ただ、これまでが詰め込まれすぎていたから、大きな自由が与えられたようにすら感じる。
 その時間を活かしてベッティーナがやってきていたのは、もちろん書庫だ。
 何冊もの本が蔵書されているそこは、ベッティーナにとって夢のような場所であった。ついつい読み切れもしないのに何冊も本を引っ張り出してしまう。
 さまざまな大きさの本を積んだから、机の上がごちゃついていたが、そんな光景すらも悪くは思わない。
むしろそんな中でアイデアノートを開いていると、それだけで創作への意欲も増してくる。
 ……が、なぜいまだに書き出すことができていないかと言えば……
「本を読まれるのなら、それに集中なされては?」
 ベッティーナは少し顔をあげて目の前の席にいる彼――リナルド・シルヴェリ第二王子に、雑な視線をやる。
「別に君を見ていたわけじゃないさ。少し休憩していただけのことだよ」
 そう安く請け合った彼は、机の上にひじをべったりとつけ、そのうえにあごを置いて目を瞑る。まるで興味がなさそうに振る舞っているが、ついさっきまではらんらんとした様子でこちらを見ていたのは感じていたから、実にわざとらしい。
 ベッティーナは試しにしばらく、そんな彼をじっと見つめてみる。
しかしこう改めて見てみれば、人生は不平等だと思わざるをえない。
こんなに気を抜いていても、リナルドの美しさは褪せないのだ。窓から入る日をまとって、きらきら光を帯びる白い髪は絹みたいに柔らかそうで、長く綺麗に上向いたまつ毛も、健康的な血色で艶感のある肌も決して崩れはしない。
その完璧具合は、行き過ぎている。ベッティーナが半ば引き気味でいたら、ぱちりと藍色の瞳がのぞいた。
やっぱり、こちらを見ていたのだ。
「……それは卑怯じゃないかな、ベッティーノくん」
「散々べとべと見てきた人の言うことじゃありませんよ」
「おいおい、そこまで粘着質じゃなかったと思うんだけどなぁ」
リナルドは爽やかな笑顔を浮かべて髪をかきあげるが、実際には十分しつこい。
しつこすぎて、この間などはその顔を夢にさえ見てしまって、鳥肌とともに目覚める羽目になったほどだ。
たぶんリナルドには、遠慮するという感覚がごっそり抜け落ちている。
そのやんごとなき身分と暴力的なまでの美しさゆえに彼は、これまで他人に拒まれたことがないのだろう。
自分の向ける関心が全ての人に受け入れられると当然に思っている。
逆に、徹底的に他人から拒まれ、世間と切り離されて生きてきたのがベッティーナだ。ほとんど誰にも侵入されたことのない近距離にいきなり踏み込まれれば、拒絶反応も生まれる。
そもそも、この男は危険な存在なのだ。
「だいたい、君は人質でもあるんだ。僕が君を見守るのは、様子を見守る意味もあるからさ。要するに仕事のうちだよ」
「安心してください。逃げ出すつもりなど、毛頭ありません」
「その心配をしているわけじゃないさ。君がこの屋敷で快適に過ごして、心を開いてくれるというのも含めて、僕の仕事なんだよ」
「……もっと生産的な仕事をなされては?」
それに、仕事が本当の理由ではないのは明らかだった。
ベッティーナに注がれるリナルドの視線には、純粋なる興味がらんらんと踊っている。
持たれたきっかけは、間違いなく書庫封鎖事件だろう。
不本意とはいえ、同じ問題の解決に取り組んだことで、勝手に親近感を覚えられたのかもしれない。
最近では、書庫にいる時間だけではなく、剣の稽古や朝食まで一緒に行うこともあった。食事中は喋らないという礼儀正しさを見せるくせに、なぜか絶対に目の前の席に陣取るのだ。
とにかく頼んでも望んでもいないのに、なぜか一緒にやりたがる。
もしかすると、単なる仲間意識以上の感情をもたれたということも……なんて考えてしまうくらいには、過剰な気がする。
男色の噂が絶えない王子だ。
諸事情で男に扮しているベッティーナも、その恋愛対象になっている可能性は十二分にある。ぞっと身の毛がよだってベッティーナは肩をさすった。
「ん、寒いのかい? ロメロに言って、毛布を持ってこさせようか」
「いえ、お構いなくどうぞ」
誰のせいだと思ってるんだか。
視線にさらされることに、そもそも慣れていないのもある。ベッティーナは、気疲れからため息をつく。
それから一度手元の本へと目を戻し、けれど集中しきれずに、ちらりとリナルドの方を見た。
 もちろん、その整いすぎて彫刻みたいに堀の深い顔を拝みたかったわけではない。
その態度の裏を探りたかったのだけど、常に小さな花がついたみたいに微笑みが浮かぶ顔からは、なにも伺えない。
ベッティーナが懸念していたのは、好意を寄せられている可能性よりもさらに最悪のパターンだ。
 それは、悪霊が見えていることが、操っていたことが露見してはいるのではないか、というもの。
「はは。君の方が僕を見てるんじゃないか? いいよ、存分に見てくれて」
「ご自分が大層好きなようですね」
「まぁ、嫌いではないかな。自分が嫌いだとしんどいからね」
どうしようもなく内容のない会話をしつつ、疑心はぬぐえない。本のページをほとんどめくれないでいるうちに、昼下がりの時間は実りなく過ぎていく。
「リナルド様、またここにいらっしゃったのですか。随分と彼がお気に入りのようでございますね」
 やがて、執事・フラヴィオがリナルドの迎えへとやってきた。
 ぱりっと真新しさすら感じる燕尾服に身を包む彼は、やはりベッティーナには興味を示さない。いよいよ一瞥さえもせずに手袋を外しながら横手を通り抜けて、リナルドに話しかける。
 その割に、言葉だけはベッティーナを刺しに来ている気がしたから、もしかすると王子の時間を奪われてという嫉妬心ゆえなのかもしれない。
まったく見当はずれなのだが。
「はは、フラヴィオにそう見えるならそうなのかもしれないな。手出しはしないでくれよ」
「ありえないお話をされないでください。それよりも、三の刻より行商人とのお打合せの時間でございます。お急ぎください」
「あぁ、そうだったね。商業街道の整備についてだったっけ?」
 フラヴィオに促され、リナルドは立ちあがる。そのままなにやら打ち合わせを交わしながら、書庫の外へと向かっていく。
 その一歩ごとに、心が解放されていく気がしていた。出ていったことを確認しようと目で追っていたら、最後に彼はこちらを振り返る。
 ……謎のウインクをお見舞いされ、構えていなかったベッティーナはまともに受け取ってしまった。
 果たしてそれにどういう意味があるのかは全く分からない。見る人が見れば心がときめくのかもしれないが、ベッティーナの心はただ黒くすさんでいく。
 それに追い打ちをかけたのは、フラヴィオの睨みつける視線だ。こちらを射殺さんばかりの迫力で、視線の矢が飛ばされていた。
 随分と嫌われたものだ。
人に好かれて生きた経験がほとんどないので、そちらの方がむしろ慣れてはいる。
が、望まずリナルドに近づかれた結果として嫉妬心を買っているのだから、少し理不尽にも感じた。
 
――そしてリナルドから興味を向けられたことによる実害は、それだけにとどまらなかった。
「またこれね」
 と呆れ半分につぶやいてしまうのは、その日の夜、いつまで経っても自分の場所にはならない居室の前でのこと。
 扉には、『思いあがるな』とか『野蛮なアウローラの陰気な王子』とか、好き放題に書かれた紙が複数枚貼り付けてあったのだ。
(……私だけじゃなくて、あなたも相当陰気だと思うけどね)
 誰の仕業であるか特定するのは鑑定魔法さえ使えれば容易だ。
けれど魔法の類はしばらくの間使わないよう、自分の中で決めたばかりだった。『悪霊を使っている』という疑いをリナルドに持たれていたとして、それを完全に晴らすためである。
これくらいのことで魔法を使って、リナルドの精霊にどこからか見られていたら、今度こそ一貫の終わり。完全にばれてしまう。
そうなったら、どんな処遇を受けるのかは考えるだけで恐ろしい。
だが逆に彼の関心が向けられている間、いっさいその素振りを見せなければ、疑いは消え、リナルドのベッティーナへの興味も失せるかもしれない。
要するに、メリットだらけなのだ。
だからプルソンにはしばらく召喚しないことを、言いつけてある。
(プルソンは不満に思うかもしれないけれどね)
まぁそれも一応、大量の酒をやったから問題はないはずである。俗物が大好きな彼は、むしろ喜んでさえいた。
そんな相棒の様子を思い返しながらベッティーナは、扉に貼られたその悪口を全て引き剥がす。
これくらいの嫌がらせで、心が折れるはずもない。なんなら犯人の特定をしようとすら思わないほどだ。
部屋に戻ったベッティーナは、その紙をハサミで刻む。
余白部分をメモ用紙へと変えて、
「アイデアが浮かんだらメモしようかしら」
こうひとりごちるのであった。
 ……が。
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