初恋カレイドスコープ

 傍らの颯太くんの手を跳ねのけて、跳ぶが如く店を飛び出す。真っ暗闇の秋の夜空に、憎々しいほどきれいな星が、薄い雲の合間を縫ってささやかに輝いている。

「社長代理!」

 やがて見つけた背中に向かって、私はありったけの大声で叫んだ。

 社長代理は止まらない。両手をポケットに突っこんだまま、静かな足取りで踏切を越える。

「待ってください、社長代理!」

 ちょうど踏切を過ぎたところで、彼はゆっくりと振り返った。その瞳に押しとどめられたみたいに、私は息を切らしてその場で立ち止まる。

 社長代理はひどく穏やかな、優しいといっても差支えのないくらい静かな面持ちで、私に向かって微笑んだ。

「ごめんね、凛ちゃん」

 自分の喉から、ひゅっと空気の漏れる音がした。

「俺さ、調子乗ってたんだよ。凛ちゃんならどんな俺でも受け入れてくれて、ずっと一緒にいてくれるって。でもさ、そんなはずないよな。だって俺、凛ちゃんのこと受け入れてあげられなかったんだから」

「れ、……玲一さん」

「みんながみんな、俺みたいに人を愛するわけじゃない。そんなの最初からわかってたはずなのに、俺は凛ちゃんにそれを求めて……そして、深く傷つけた。凛ちゃんが会社を辞めようと思うのは当然のことだよ。裏切りでもなんでもない」

 カンカンと警報が鳴り響き、踏切の遮断機が下りてゆく。

 一旦伏せられた玲一さんのまぶたが、再び開くと同時に柔く、甘く優しい弧を描く。

「今までごめん」

 彼は言った。



「どうか、幸せに」



 違うんです、玲一さん。

 私だけは騙されたんです。本当に何も知らなかったんです。

 信じてください。どうか、私のことを信じてください。

 私は……私は、まだ、あなたのことが……。

 轟音とともに通り過ぎる電車に、張り上げた声がかき消されていく。喉が裂けてもいい、二度と喋れなくてもいい。そんな私のちっぽけな覚悟なんて、彼には当然届かない。

 目にも止まらない速さで電車はあっという間に通り過ぎていく。そして、かすかな土煙とともにあたりに沈黙が戻った頃には、踏切の向こうに玲一さんの姿はなくなっていた。

 遮断機が上がるのをもどかしい気持ちで待ち、私は踏切を駆け超える。でも、当たり前だけどもうそこには、彼の気配すら残っていなくて。

「……玲一さん……」

 もう、取り返しはつかないのだと――何もかもがおしまいなのだと、冷たい秋風が私の耳元で囁いた気がした。
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