ブランカ/Blanca―30代女性警察官の日常コメディ
 葉梨はこれを把握していたのかと私は横目で見たが、ものすごい目ヂカラで狸の置物を見ていた。
 多分、知らなかったのだろう。私だってそうだ。知らなかった。玲緒奈さんが敦志さんを『むーちゃん』と呼んでいるだなんて。だが私は警察官――。

 ――まつながあつし、だからむーちゃん。

 はい、そうです。むーちゃんです。むーちゃんで間違いありません。

 私は納得した。
 余計な事は考えず、ただ黙って納得しておけば良いのだ。警察官などそんなもんだ。黒い物でも上が白と言えば白なのだ。松永敦志さんはむーちゃん。そうだ、むーちゃんだ。紛れもなくむーちゃんだ。
 葉梨もそう思い至ったのだろう。私と葉梨は一気に仕事モードになった。もちろん玲緒奈さんと会うから九割方仕事モードだったのだが、今は完全に仕事モードだ。

 まつながあつし、だからむーちゃん。
 むーちゃん、むーちゃん。あっちゃんでもあっくんでもない、むーちゃんはむーちゃんなのだからむーちゃんだ。

 玲緒奈さんは固まったままだ。さすがに向けないだろう。何せ夫を『むーちゃん』と呼んでいる事が後輩にバレたのだから。
 気まずそうに敦志さんがこちらへ寄ってきた。

「ご無沙汰しております」
「ああ、久しぶりだね」

 葉梨と共に頭を下げている間、玲緒奈さんは廊下の奥へ消えた。
 その姿を横目で見た敦志さんはこう言った。

「俺、もう仕事行く。後は二人で、耐えて」

 私たちは、むーちゃんに、見捨てられた――。
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