花縁~契約妻は傲慢御曹司に求愛される~
「葵だ」


唐突に名乗られ、一瞬、親会社一族の名前が頭に浮かぶ。

けれど、そんな高い地位にいる人に出会って、誘われるなんて偶然が、起こるはずはない。


きっと、同じ名前なだけだ。


「名を知りたかったんじゃないのか? 君は?」


痛いところを突かれながらも、一瞬躊躇って下の名前を告げた。

素性を知らない相手にフルネームを教えるのは気が引ける。


「……逢花、です」


彼の背中を見つめて答える。


「漢字は?」


「逢瀬の逢に、花束の花です」


「へえ……まさに“花”のおかげで俺たちは“逢”えた」


ゆっくりと振り向いた彼が口角を上げる。


「おいで」


自分の立ち位置に迷う私を、葵さんが引っ張ってエレベーターに乗せる。


「願いを叶えると言っただろ?」


広く優しい胸に抱き込まれ、鼻孔をくすぐるシトラスの香りに胸が詰まった。


「逢花が必要なんだ。なにも考えず、甘やかされて」


「なぜそんなに優しくしてくれるの? 私たちは初対面なのに」


「見知らぬ他人同士だからこそ、曝け出せる場合もある。お互い最低な夜に出会うなんて縁があると思わないか? ……逢花がほしい」


彼の台詞にコトンと心が動き、なけなしの理性がどんどん叩き壊されていく。

真面目で平凡、非日常な出来事なんて起こりうるはずのない私に訪れた出会い。

だってもう二度と会えないとわかるから。

彼もそのつもりで一時の慰めを求めているのだろう。

きっとつらいなにかがあったに違いない。

それなら傷ついた心を癒しあってもいいはずだ。
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