偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

「三十年経って俺が足腰弱っても、りとと力登が溺れていたら力登を助けに飛び込む」

「……」

「力登は真っ先にりとを助けるだろうから、溺れるのは俺一人だな」

 ふっとりとの息が弾み、目を細めた。

「約束する。りとより力登を大切にする。りとが嫉妬するくらい」

「私が嫉妬するの?」

「ああ。俺に力登を取られたと嫉妬するくらい、仲のいい父子(おやこ)になる」

「うん」

 ボタンを外し終えたりとの手が、ジャケットの合わせ目から俺の胸に触れた。

 ワイシャツ越しに触れる彼女の手が、ゆっくりと肩まで這っていく。

 ジャケットが肩から腕に落ち、俺は腕を抜いてジャケットを隣のベッドに放った。

「俺からも頼みがある」

「なに?」

 りとの手が、ワイシャツのボタンを外す。

「いつか、力登に実の父親のことを話す時は、俺から言わせてくれ」

「……でも――」

「――頼む」

 これは俺の覚悟だ。

 いつか、俺とは血の繋がりがないと知った力登が、ほんの少しも不安を感じないように努力するべきは、俺だ。

 俺が事実を告げた時、力登が「だから?」と聞くくらい他愛のないことだと思わせたい。

 りとが頷く。

「なぁ、りと」

「なに?」

「俺はトーウンコーポレーションの社長秘書に相応しいだろうか」

「……え?」

 りとの唇が開いて、何か言いかけて、閉じた。

 ずっと、聞きたかった。

 聞くのが怖かったが、聞きたかった。



 りとに、認めてもらいたかった。



「覚えてた……の?」

「忘れられないだろ。あんな――」

「――ごめんなさい。偉そうなことを言ったけど、あの時は――」

「――知ってる。というか、最近知った」

『あなたは秘書として絶対にしてはいけないことをしたのよ』

 俺が秘書課で内勤業務を経て、当時の専務の第二秘書となった時、まだ二十五歳だった。

 その日は、第一秘書の先輩が体調不良で随行できなくなった取引会社の新社長就任パーティーに急遽俺が随行した。

 秘書となってパーティーに随行するのは初めてだった。

 当時の俺は秘書業務というものを甘く見ていた。

 いずれ社長になる皇丞の片腕となると決めて入社したが、役員たちは皆父親と同じか上の世代で、緩いスケジュールで管理も楽だったし、会議資料の作成は簡単すぎてつまらなく感じるほどだった。

 だから、パーティーの随行も、要は酒好きの専務が飲み過ぎないように見張る程度のことだと思っていた。

 そのパーティーで、俺は主催会社社長の娘に気に入られ、会場の外に誘い出された。

 もちろん、断った。

 すると、娘が騒ぎ出した。

 俺に無理やり迫られたと。

 幸い、すぐに主催会社社長の秘書が駆け付け、その時点で俺の潔白は証明された。

 証明したのは、当時西堂建設副社長秘書だったりと。

 迫られていたのは俺の方で、必要ならば警察で証言してもいいとまで言ってくれた。

 娘の男癖の悪さは有名だったから、秘書の執り成しで大事にはならなかった。

 娘の父親は俺と専務に頭を下げ、専務もまた誘われるままに会場の外に出た俺の行動について頭を下げた。

 その時に言われたのだ。

 秘書の失態で役員に頭を下げさせるなんて秘書失格だ、と。

「私自身が不倫の噂でまいっちゃってて。そのせいってわけじゃないけど、男好きだって噂の社長令嬢と会場の外に出てきたあなたを見て、仕事中にナニやってるんだって言ってやりたくて……」

「だとしても、結果的に俺の潔白は証明された」

「そうね。でも、なんだか引っ込みがつかなくなって八つ当たりしたわ」

 りとが手の甲で口元を押さえ、顔を背ける。

 俺はその手を握り、引き寄せ、手の甲にキスをした。

「ムカついたけど、あの後でりとがデキる秘書だって知って、俺も頑張れたよ。次に会った時は、あの時の言葉を撤回させてやるって、思ってた」

「でも、マンションで会った時も会社で会った時も、何も言わなかったじゃない」

「りとが覚えてなさそうだったから」

「……私も、忘れられてると思った」

 手を伸ばし、りとの鎖骨を撫で、丈の短い羽織を脱がせる。

 手が、熱い。

「そういえば――」

 りとがぴくぴくっとぎこちなく口角を上げた。

 顔が赤い。

 瞳が潤んでいる。

「――只野さんが言っていた大切な人って?」

「……」

「大切な人を傷つけられたって言ってたでしょう?」

「……」

「私、只野さんは理人のことが好きなんだと――」

 りとの肩を押し、同時に俺は腰を上げた。

 彼女がゆっくりとベッドの背を沈める。

 俺はそんな彼女を見下ろした。

 半端にボタンが外されたワイシャツが肌を離れ、ヒヤリとした。

「――返事は?」

「え……?」

「プロポーズの返事」

「……」

「本気で我慢の限界なんだけど」

 ずいっと顔を寄せると、りとが視線を彷徨わせた。

「姫――さんの話は、明日ゆっくりしよう」

「……うん」

「今は――」



 早く抱かせてほしい。


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