偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「そう……ですね。元カレが、浮気したくせに連絡してきたりして困ってたら、皇丞が助けてくれたんです。それで、まぁ、絆された……って感じです」
朝、専務室で言っていたことを思い出す。
「今はもう開き直ってますけど、やっぱりあちこちでジロジロ見られたり、コソコソ噂されるのは嫌じゃないですか」
「そうですね」
「まぁ、遠巻きに言われるだけなら気にしなきゃいいんですけどね? まぁ、それでも、力登くんのことまで言われたら、俵さんキレちゃいそうですよね」
「そうですね。それはさすがに……」
店員さんがパスタを二皿運んでくる。
私と梓さんの前に置いていく。
梅の香りがすーっと鼻の奥に抜ける。
私と梓さんはそれぞれフォークを持つと、綺麗に円を描きながら小高い山のように盛り付けられているパスタを崩して巻き付けた。
「いい香り」
梓さんがフォークを口に運ぶ前に嬉しそうに微笑んだ。
まだ、お腹は膨らんでいない。
でも、それもあっと言う間だ。
可愛いお母さんになるんだろうな……。
パスタを口に入れると、甘酸っぱさが喉から鼻に抜けた。
「美味しい」
「ですよね? 毎日でも食べたいんです。つわりは終わったはずなのに、とにかくさっぱりしたものが食べたくて仕方なくて」
「それ、出産するまで続くかもしれないですよ? 私は妊娠中に無性にイチゴが食べたくて良く食べてたんですけど、それからずっと好物になっちゃいました」
梓さんが笑う。
「ごめんなさい。うちの冷蔵庫、梅干しや梅風味のものが溢れてて、皇丞がそれを見るたびに口の中が酸っぱくなるって言ってて。その時の皇丞の顔を思い出したらおかしくて。それが続くとなったら、梅干し用の冷蔵庫を買われそう」
小さな冷蔵庫に梅干しが詰まっているのを想像したら、私も笑えた。
でも確かに、専務ならやりそうだ。
「俵さんもやりそうですけどね?」
「え?」
「イチゴ用の冷蔵庫」
「まさか」
笑いながらパスタを頬張る私を、梓さんはじっと見ている。
「やりますよ。で、ネットでイチゴの年間購入して、毎週配達に設定するの。絶対やると思う」
「それはさすがに――」
「――甘いですよ。私、俵さんは皇丞の上を行くと思う」
「上って?」
「ん~~~。過保護さ?」
梓さんが、ふふふっと自信あり気に笑う。
専務の上をとなると、相当だ。
まさか。
「過保護といえば、力登くんは? 俵さん、力登くんに超甘そう」
「……」
「可愛いですよねぇ。しっちょー♡って呼ばれておねだりされたら、なんでもしてあげたくなっちゃいますよねぇ」
「そんなことは……」
ある……かも。
実は昨日、婚姻届を提出した後で買い物に行った。
新生活に必要なものを、と言われて調理道具や食器なんかだと思った。
もちろん、それらも買った。
理人が前の部屋から持って来た基本白のシンプルなお皿たちは、力登に使わせられない。
メラニン食器を数点、雑貨店で購入したのだが、私がそれらを選んでいる間に理人と力登はかごをいっぱいにしていた。
そもそも、私は均一ショップでいいと言ったのに、力登がディスプレイされている電車のおもちゃを見て理人に言った。
『しっちょーてんしゃんすき? りきね、あかのすき! びゅーんてかっくぃーんだ』
力登はぴょんぴょん飛び跳ね、理人は力登の手を引いて店に入って行く。
『力登、赤い電車のコップがあるぞ?』
『ちょーらい!』
『茶碗とお椀と皿と……。あ、セットになったのがあるぞ?』
そんな調子で、贈答用のベビー食器セットを、しかも一番高いのを買おうとするから、必要なものは私が選ぶからと言った。
で、選んでいる間に二人は店内を見て回り、シャツやパンツ、パジャマ、靴下と、赤い電車のグッズをかごいっぱいに入れて戻ってきたのだ。
しかも、力登はプ◯レールの赤い電車の箱を抱えている。三つも。
『ちゃうの! みんなの! りき、と〜しっちょ、と〜ママ! なん』
三つもダメだと言われるとわかっていた力登は、私の顔を見るなり必死に言い訳を始めた。
接続語がうまく使えない力登だが、真剣な表情で理人に教わったらしい『と』に力を込めている。
焦りすぎて『ちがう』が『ちゃう』になった節で笑いそうになるが、流されてはいけないと堪えた。
なのに、理人は笑い、力登の頭を撫でる。
『力登、お喋り上手になったよな〜』とか『自分のより先にママの電車を選んでたの、優しいよなぁ』なんて褒めちぎる。
怒るのが馬鹿らしくなった。
結局、今日だけだと念を押して全てご購入。
当然、理人が払った。
いや、当然だなんて思っていたわけじゃない。
理人が当然のように自分のクレジットカードで支払ってしまったということ。
バッグの中の使い古した財布に手が届くより先に言われてしまった。
『お前の夫は、これくらいの買い物が家計に響くような安月給じゃないぞ?』
浮かれすぎだ。
もう、本当に浮かれすぎ。
気を引き締めないと。