偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「――てんしゃんのね」
「で、ん、しゃ、な」
「で~んしゃん!」
「いや、そうじゃなくて――」
「――たべっか」
力登はとにかくご飯が食べたいようで、電車の、とは昨日買ったお皿のことだろう。
「力登、ご飯食べるからしっちょー置いておいで?」
「おう! パパあっち!」
「え?」
「あっち!」
力登は理人の腕の中からリビングの、さっき自分が遊んでいた部屋の隅を指さす。
「パパを使わないの」
「やー! パパ、いって」
連れて行け、と言いたいらしい。
「なんだか、くすぐったいな」
理人が力登の頬にキスをする。
「帰ったら誰かいるのって」
「私は、家にいるのに玄関が開くのに慣れるまで少しかかりそう」
「ああ。インターホンを押すか?」
「ううん? だいじょう――」
うなじを掴まれて前のめりになったと同時に、唇が彼のそれと重なった。
一瞬だけ。
理人の肩には力登が、背中を向けて抱かれている。
「――ベタだけど、いいな」
わずか数ミリの唇の隙間でそう言うと、またチュッと触れた。
「~~~っ!」
「は~や~く~!」
ジタバタする力登の足が、私と理人の胸を蹴る。
「わかったから暴れんな」
理人がくるりと向きを変え、力登が指さす方へ行く。
なに、これ――。
ただいまのキスなんてされると思っていなかった。
理人が言うように、くすぐったい。
いい年して……。
「いい年してキスぐらいで喜ぶなんて、とか思ってるだろ」
背後からの声にドキッとして、首を振る。
「そんんこと――」
「――大丈夫だ。俺も思ってる」
「え?」
見ると、しっちょーと電車を並べている力登の横で、理人が胡坐をかいて座り、力登の頭を撫でている。
「俺も浮かれてる。誰かと暮らすなんて煩わしいだけだと思ってたのに、りとと力登に出迎えられて嬉しいとか、さ」
力登が横に並べた電車を、今度は縦に並べる。そして、しっちょーの首を持って立ち上がった。
「ま、いいだろ。新婚なんだし? 年なんて関係ねーよ。な? りき――」
「――しっちょー、どーん!」
電車の上からしっちょーを離すと、当然だが電車が音を立てて倒れた。
「お前、過激だな」
「しっちょー、かったぁ!」
「戦ってたのか?」
「っく」
思わず吹き出してしまう。
「私も同じこと、思った」
「これ、なんか言うべきか?」
しっちょー爆弾で吹っ飛んだ電車たちに、理人が同情の視線を向ける。
「壊れて泣いて物の扱い方を覚えるか、壊れる前に教えるか。難しいところね」
「俺の名前を付けたぬいぐるみの扱いが雑過ぎることについては?」
「それは……任せるわ」
理人が力登を抱き上げ、膝に乗せる。
「力登。しっちょーは強いが、痛いものは痛いんだぞ?」
「いたいん?」
「ああ。そんな風に投げたら――」
「――びょぉんいく?」
「え?」
力登が理人の膝からぴょんっと飛び降りると、私に向かって走り出す。
「ママ! しっちょーいたいって」
しっちょーを混同してる……。
「力登。痛いのは犬のしっちょーで――」
しっちょーがしっちょーの説明してる……。
「――つーか! 俺はしっちょーじゃなくてパパ!」
「ママ! パパ、いたいって」
「違う」
「ちぁうの?」
「くっ……。ふふっ……」
「ママ、ちぁうって!」
「り~き~と~」
理人が立ち上がり、力登を追いかける。
「きゃーっ!」
力登がお尻をフリフリさせて私の足にしがみついた。
「あっははははは!」
力登に翻弄されっ放しの理人がおかしくて堪らない。
会社での彼とは別人みたい。
「力登、実はわかっててとぼけてるだろ」
「そんなわけないじゃない」
理人が私の横でしゃがみ、力登を覗き込む。
「いや? 力登は賢いからな」
「おう!」
「ほら、わかってる」
そんなわけないじゃない……。
危険だな、と思った。
私より親バカになりそうね……。
「ま、いーや。ご飯にしよう」
「おう! いーや」
なんだかよくわからないうちに話はまとまり、私たちはようやく三人でダイニングを囲んだ。