偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~


*****



「力登。今日は俺が迎えに行くからな」

「おう!」

 ネクタイを結ぶ理人の足元で、力登がガッツポーズでジャンプする。

「ねぇ、やっぱり延長保育にした方が――」

「――大丈夫だって」

「だじょーぶ!」

「でも、わざわざ有休取らなくても――」

「――義務の五日、消化しなきゃならないのは言ったろ?」

「そうだけど……」

「保育園プロジェクトの責任者が契約締結に立ち会わなくてどうするんだよ」

「そうだけど……」

 理人と結婚して三か月が過ぎた。

 今日は、トーウンコーポレーションと緑陽園が業務提携の契約を結ぶ。

 決定事項ではあったけれど、契約書を交わすのは全ての根回しが済んでからとなっていた。

 企業型保育園の認可申請もしたし、明日から新園舎建設も始まる。

 異例の速さでプロジェクトが進んだのは、トーウンが保育園の運営は緑陽園に一任すると早々に申し出ていたから。

 トーウンが、専務がそれを決めたのは、力登の影響が大きい。

「力登。保育園は楽しいか?」

「おう! オーデショーすんだ」

「オーデショー?」

 私は力登のバッグから連絡帳を取り出すと、今日のお迎えがパパだと書いた内容をもう一度チェックする。

「オーディション。お遊戯会の役を決めるんだって」

「へぇ。力登はどんな役をやるんだ? あ、それを決めるのか」

「おーじさん! おひめさとちゅーすんの」

「……は?」

「王子様」

「シンデレラとか白雪姫か?」

「プラス眠れる森の美女とラプンツェル」

「は?」

 連絡帳と出来立てのお弁当をバッグに詰めて、力登の準備は良し。

 後は、おむつを替えたら出られる。

「それぞれの王子様とお姫様がこんがらがっちゃうパロディだって。偶然居合わせた四組の王子様とお姫様で、自分の運命の相手が誰かわかるかな? って感じで」

「合コンか?」

「まぁ、そんな感じ?」

「保育園児にそんなことやらせて大丈夫なのか?」

「パロディだからね」

 正直、私も驚いた。

 けれど、ひとつのお話に王子様とお姫様が一人ずつないし二人ずつとなると、どうしても揉め事が起こる。らしい。

 選ばれなかった園児たちはもちろん、保護者からも演目そのものに文句が出る場合もあるそうで。

 その上、先生の意見すら分かれる始末。

 年配の先生はシンデレラや白雪姫推し。若い先生は美女と野獣やラプンツェル推し。

 いち保護者である私が保育園の内情を知ったのは、偏に保育園プロジェクトの責任者だからだ。

 そう。

 力登は緑陽園に通い始めた。

 保育士不足で園児の入所募集をしていなかった園だが、トーウンの、正確には理人の伝手で保育士を二名雇用したのだ。

 新園舎が完成するまでは、力登とトーウン社員の子供二名のみ入所が許された。

 問題点の洗い出し、という意味合いでもある。

 子供を入所させた私たち三名は、週に一度保育園に関するアンケートに答える。

 これは、私が作成したもので、もちろん園側には伝えていない。

 新園舎が完成した時点で、改善点についての要望を出す。

 これは、契約内容にも含まれている。



 まぁ、理人が力登に毎日保育園でのことを聞くのは、アンケートとは関係ないと思うけど。



 面白い、らしい。

 今時の保育園事情や保育園児の実態を知るのが新鮮なようで、理人は毎日驚いている。

 とまぁ、そんな感じで保育士や園児、保護者の希望や意見を取りまとめた結果、四組八名の合コンスタイルとなったそう。

 もちろん、王子様やお姫様をやりたくない子もいる。

 ステージに立つことも嫌がる子もいる。

 人数的には揉めることがなさそうだ。

 ところが、別の問題が発生した。

 王子様とお姫様のカップリングだ。

 劇が始まる前から王子様、お姫様の奪い合いだそうで、誰がどのストーリーの王子様、お姫様をやるかはオーディションとなった。



 ホント、保育士さんたちには頭が下がるわ……。



 二歳児クラスからは力登と女の子二人が立候補したらしいのだが、どうやら二人とも力登とカップルになりたいようで、他の学年でも同じ問題が起きたために、オーディション。

「力登は誰とちゅ~したいんだ?」

「理人、そういうことを――」

「――ママ! ママ、ちゅ~」

 朝の忙しい時間だからと言って、息子のこんなに可愛いおねだりを無視できる親がいるだろうか。

 私はしゃがんで頬を力登に向ける。

 力登は私の顔をがしっと両手で掴むと、唇にキスをした。

 いつもは頬なのに。

「力登! ママにちゅーはほっぺだろ」

「や! りきもくちがいー! パパずるい」

「は?」

 理人と暮らし始めてからの三か月で、力登のお喋りは格段に上達した。

 接続語を力まずに言えるようになったし、私や理人の真似もするようになった。

 当然、保育園で覚えてくる言葉もある。

『ずるい』もその一つ。



 じゃなくて!

 りき『も』って――。



「パパ、ママのくちにちゅーすんの、ずるい! くちにちゅーはだーすきだけなん!」

「力登」

「りきもママ、だーすきよ!」

 力登が私の首にしがみつき、私は思ったより強い力によろけて座り込む格好になった。

「りき、あぶな――」



 待って、今――。



『パパ、ママの口にキスするの、ずるい』

 そう聞こえた。



 見られてた!?



「りき、パパはそんな――」

「――りき、しってもん。パパ、ママねてんのちゅーすんだ!」



 ……は!?



 見上げると、理人の焦り顔。

「力登! それは言うなって――」

「――子供の前で何やってるの!? 信じられない!」

 恥ずかしさで声を荒げると、理人が唇を捻った。

 そして、私の上から力登をおろすと、私の肩を掴んで抱き起す。

「夫婦がキスをして何が悪い?」

 涼しい顔でそう言うと、懲りずに私にキスをする。

「子供の前ですることじゃないでしょう!?」

「キスした時、力登が起きていたってだけだ」

「開き直るつも――」

「――ご無沙汰なんだ。キスくらいさせろよ」



 ~~~っ!!!



 抱きしめられ、耳元で囁かれ、耳たぶを食まれる。

 その一瞬で、カッと身体が熱くなる。

「コレについては? 力登が寝た後にゆっくり話し合おうか。夫婦で」

 仕事の時、理人はほんの少しだけ香りを纏う。

 すーっと鼻の奥に通るミントの香り。

 それは、整髪料の香りで、オフィスモードの合図。

 髪を後ろに流して黒縁眼鏡をかけた彼は、社長秘書。

 そうしている彼の前では、私は部下。

 そうやって気持ちを切り替えているから、こんな風にオフィスモードで距離を縮められると、悪いことをしているような気になってしまう。

「あれ? 新鮮な反応だな」

 ドキドキが冷めやらぬ私を、面白そうに覗き込む理人。

「ああ。もしかして、イケナイことを想像したか?」

「何も想像なんて――」

「――せっかく同じ職場なんだ。今度――」

「――り~き~も~ちゅ~!」

 足元から甘い雰囲気が解け落ちる。

 私と理人は顔を見合わせ、笑った。


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