ファーレンハイト/Fahrenheit
「奈緒ちゃんごめん。でもこうでもしなきゃ、奈緒ちゃんは話を聞いてくれないから」

 肘を掴まれたと思ったら、ベッドに押し倒され相澤を見上げるまで一瞬だった。
 腕も足も動かせない。

 ずっと私は、相澤とこの話をする事を拒否していた。
 だって私は、相澤の答えを知りたくなかったから。

 あの日、「ずっと好きだった」と言った。
 なら今はどうなのかと言えば、葉梨が好きだ。私は葉梨に恋をしている。だからもう私は、相澤に恋をしていないという事になるだろう。だけど――。

「奈緒ちゃん、今好きな人がいるの?」

 松永さんから聞いたのだろうか。相手が葉梨だとは知らないだろう。その素振りはないから。
 だが、私に好きな人がいたとして、相澤はどうするのだろうか。

「だとしたら何よ?」
「なら俺は別れるまで待ってる」
「はっ!?」

 どういう意味なのだろうか。葉梨と付き合って別れたら、相澤は私と付き合うと言う事か。ならそれは今だって良いだろう。違うのだろうか。

「だって……」

 相澤は私を、『誰にも渡したくないと思った』のか。
 私はいつから相澤の物だったのだろうか。相澤の物になった記憶は無いのに。どういう意味だ。

「多分、奈緒ちゃんが好きなんだと思う」
「多分って何よ」

 そんな不明瞭な気持ちでは困る。
 はっきりと言って欲しい。

「分かんない」
「バカなの?」

 ――痛い。

 相澤が舌打ちして、掴んだ私の手首に力を込めている。
 ああ、相澤を怒らせてしまった。目が怒っている。
 真面目に話してくれているのに、その言葉はさすがに失礼だった。謝らなければ。

「ごめ――」

 相澤の唇が私の口を塞いだ。
 手首を掴んだ腕の力は少しだけ緩んだが、二の腕にある相澤の腕に押し潰されそうだ。痛い。
 相澤の舌が私の口内に入って来た。苦しい。
 体は相澤が体重をかけている。重い。苦しい。重い。
 息が出来ない。苦しい。

 ――鼻ですればいいのか。

 そう思って鼻で息を始めた時、相澤は唇を離した。
 相澤を目で追うと、相澤は掴んだ腕も、足も離した。

 ――今のはキスだった、のか?

 あまりにも突然の事だったし、重くて苦しくて重くて何も考えられなかった。
 そうか、キスだ。私は相澤とキスをしたんだ。相澤の舌は、私を求めていたんだ。そうか、応えないといけなかったのか。でも――。

「ごめん。……でも奈緒ちゃんが良いなら、俺はしたい。でも嫌なら俺はや――」

 腕を相澤の首に回して、私は相澤を引き寄せた。

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