ファーレンハイト/Fahrenheit
 リビングのドアの正面には大きなテーブルがある。これは長机を三つ合わせて大きなテーブルのようにしていた。
 左手のキッチンに接するダイニング部分には座卓と座布団がある。テーブルに書類がある状態の場合は食事は座卓で食べるようにしているが、そこはすごく、昭和な雰囲気の趣のある一角となっている。みかんが乗っている鎌倉彫の菓子盆は俺が持って来た。

「座卓? なんであるの?」
「ハハッ、書類に味噌汁ぶちまけた奴がいましてね、それで食事は座卓で取るようにしているんですよ」
「あら、どなたがこぼしたの?」

 ――声音が変わった。ぼくこわい。

 玲緒奈さんの目つきは変わらずだが、言葉遣いの上品メーターが上がった。そのメーターは数段階ある。
 捜査員からの『松永め、余計な事を』と思っているだろうと思料される視線が突き刺さる。
 普通ならそうだ。この場面でならミスを告げ口したと、松永は余計な事を言った、バカなのかと誰もが思うだろうが、今回に関しては、それは違う。

「相澤です」

 そう言うと、狂犬の親玉の玲緒奈さんは途端に『優しい女の人』になり、声音も変わった。

「そっかぁー、裕くんがこぼしちゃったんだ、仕方ないな、もうっ! ちゃんとみんなにごめんなさいしたの?」
「はい! しました!」

 ――姐さん、葉梨と本城がドン引きしてますよ。

 葉梨と本城は、玲緒奈さんが狂犬加藤の産みの親だと知っているが、相澤を溺愛する姿は初めて見る。だがそれよりも、ただの『優しい女の人』を加藤が受け継いでいない事に驚いたようだ。二人は加藤を見ていた。

 ――奈緒ちゃんとばっちり。

 椅子に座った玲緒奈さんは左に相澤を侍らせた。右には武村雅人が座ろうとしている。

 ――武村はチャレンジャー! すごいよ雅人さん!

 玲緒奈さんの武村を見る目は優しい。まだ武村の素行は知らないのだろうか。俺が武村にやった事の原因は玲緒奈さんに言っていないが、知らないはずが無い。だが、優しい目をしているから、玲緒奈さんには問題ないのだろう。

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