ファーレンハイト/Fahrenheit
 海に面した公園のベンチで俺達はカップルに扮して対象者の監視をしている。隣の加藤奈緒はギャルから割と適当な格好に戻り、寒い海っぺりでズボンが履ける事を喜んでいた。

「息すんなって事? 無理じゃない?」
「そうだけど! そうだけど!」
「あっ」
「おっと……」

 監視対象者がベンチから立ち上がり歩き出した。

「こっち来るね」
「……奈緒ちゃん見といてね」

 加藤の肩を抱いた手を腰に移動させて加藤の背中を支えた。右手は太ももに置く。加藤の視界を妨げないように身体を屈めて加藤の左耳に顔を寄せると、視界の端に対象者が入って来た。

「あっ見えた」
「……んっ」
「もしかしてくすぐったいの? ふふっ」

 加藤は左腕を俺の背中に回し、指先で首すじをなぞりながら、耳朶にそっと触れた。

「痛たたたたたっ! やめて奈緒ちゃん! 爪! 食い込んでる! 痛いよっ!」

 加藤は「痛いのは嫌なのね……なら……」と声音を変えて左耳を食んだ。舌が触れた感覚がして首すじがぞわりとした。吐息が耳に流れ込む。
 加藤が纏う香水を強く感じた時、加藤の背中を支えていた左腕の熱は奪われて、その代わりに加藤と合わせる身体が熱を持った。加藤は左手で後頭部の髪を撫でて、そして耳朶にそっと舌先を這わせた。

「ほら行くよ」
「…………」

 加藤はまた手の甲で俺の顔を叩き、身体を捩らせて立ち上がった。呆気にとられたが、俺もすぐに立ち上がり加藤の手を繋ごうとした。だが加藤は左腕に腕を絡ませてきた。

 手を繋がずに絡ませているのはなぜだろう。
 腕に奈緒ちゃんの胸の感触がある。
 意外と大きい……かな。多分そんな気がする。
 でも今の何……何だったの……びっくりした。
 奈緒ちゃんは今までこんな事しなかったのに。

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