ファーレンハイト/Fahrenheit
 加藤は美人で、月に一度の仕事を教えてもらう際に会うと待ち合わせ場所にいる加藤はだいたいナンパされているし、一緒に歩いていると加藤を見た男は自分を見て見比べるし、女が加藤を見て連れの自分を見ると鼻で笑うと言う。男女共に共通しているのは、自分を値踏みする視線だと言う。
 加藤自身は俺で本当に良いと思っているのか、美人な加藤はいい男と歩きたいと思っているのではと言う。

 ――大丈夫だよ、相澤もゴリラだし。

「加藤は美人だけど中身は狂犬だよ? 同僚の前でストッキング破るような女だよ? 同僚をひっ叩く女だよ? 俺に土下座させる女だよ?」
「いや、土下座……まあ、そうですが……」
「バーを出た後に何したよ? 大丈夫だよ」
「うーん……」
「ふふっ。翌朝、加藤は恋する乙女だった、とだけ言っとく」

 俺から見えない場所で何をしてるかは分からないが、仕事中の二人はデートした後の男女とは気取られないようにしている。
 加藤はいつも通りでストッキングを自分で破いていたし、葉梨の前で寝落ちした俺を手の甲で引っ叩いたし、葉梨の凡ミスに舌打ちして葉梨は恐怖の面持ちだったし、睡眠不足が起因のミスに加藤が手を出した時、葉梨が防御の体勢を取ったせいで狂犬加藤になった姿を見た葉梨はまた後退りしていたし。

 ――奈緒ちゃん、葉梨くんは怖くてデートに誘えないみたいよ?

「ああ、そうだ。加藤が怪我した時、ハイヒール履いてたからすっ転んだだろ?」
「はい」
「加藤がハイヒール履くとペアの相澤より背が高くなっちゃうから履かないんだよ。なのになんで履いたんだろうな」
「……何ででしょう」
「加藤がハイヒール履いても、お前より背が高くならないからだよ」
「あっ……」

 加藤の身長は一メートル六十八センチだ。七センチのヒールを履いても、一メートル八十五センチの葉梨の背を超えない。加藤は俺と歩く時にハイヒールを履ける事を喜んでいた。本当はハイヒールが好きで履きたいが、ペア次第では履けないとこぼしていた。

「お前と並んで歩きたいんだろ。その為に練習してすっ転んだんだよ」

 合点がいき、それが自分の為だったと知った葉梨は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 ――葉梨も笑うとエクボが出来るんだ。

「お幸せに」

 その言葉に元気に答えた葉梨はこっちを向いた。

「前見ろよ」
「痛っ!!」

 公用車で事故るといろいろと大変なんだよ、しかもまだここ隣県だし、と思いながら俺は葉梨の笑顔を眺めていたが、ある事を思い出した。

「相澤から合コンの話はあった?」
「……ありました」
「断れないだろ?」
「……はい」
「いいよ、加藤にバレたら俺のせいにしろ。責任取ってやる」

 ――このまま地球が滅亡すればいいのに。

 七回目の土下座を考えていたら溜め息が出た。
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