ファーレンハイト/Fahrenheit

#04 恋を運ぶ風

 十二月九日 午後五時三十二分

 笹倉優衣香は松永敬志の弟が勤める美容院にいた。

 席に通された優衣香に、松永の弟は松永が続けて二回来たと言うと、優衣香は口元を緩めた。優衣香も弟に「私も二回続けて会ったよ」と言うと、彼は一瞬目を彷徨わせたが、何かに気づいたようで頷いた。

「この前はわざわざ来てくれてありがとうね。おばさんの所に御礼は送ったから、理志(さとし)くんも実家に帰った時に頂いてね」

 毎年、松永敬志の母は優衣香の両親の命日前後に優衣香のマンションを訪問していて、今回の訪問は三男の理志(さとし)を伴ってのものだった。

「兄ちゃんも行けたんだね」
「そうなの、夜遅くだったけどね」

 ◇

 カラーの調合を終えた松永(まつなが)理志(さとし)は優衣香の席にやって来た。「久しぶりに明るくするよね」と優衣香に問うと、優衣香は「何となくイメチェンしたくなったんだよ」と答えた。そう答えた優衣香の顔を鏡越しに眺めた理志は、口元を緩めて、「兄ちゃんは茶髪でパーマかけた優衣ねえがお気に入りだもんね」と言うと、優衣香は目を見開いて「えっ」と言ったまま次の言葉が出て来る様子は無い。

「えっ、知らないの? 兄ちゃんは言ってないの?」
「……聞いたことないよ」
「なら兄ちゃんから聞いてね。ふふふ」
「そうだったんだ……」
「今日の優衣ねえの予約はカラーとパーマだったから、てっきり兄ちゃん好みのヘアスタイルにするのかと思ってたよ。さっき色見本見せた時も迷わず茶系を選んでたから」

 初めて聞かされた敬志の好みを知り、目を彷徨わせて考えていた優衣香だったが、思い出した事があったようだ。

「ゆるふわカールで愛され女子、みたいなヘアスタイルかな?」
「あっ、そうそう」
「確かにあの時、敬ちゃんは嬉しそうにしてた」

 優衣香は理志(さとし)と相談し、松永好みのヘアスタイルにする事になった。

 ◇

理志(さとし)くん、敬ちゃんのヘアスタイルなんだけどね……」

 ロッドを手際よく巻いている理志に優衣香が問いかけた。敬志のストレートパーマをかけた、黒髪の長めの髪型は何と言う名前なのかを理志に聞いたが、ツーブロックで刈り上げた今のヘアスタイルではない事はわかっている理志は、「特に名前はないよ」と答えた。

「そうなんだ。敬ちゃんにも聞いたの。でもわからないって言ってて」
「ん? なんかあった?」
「敬ちゃんに『そのおかっぱ頭は何て言う髪型なの?』と聞いたの」
「おかっぱ!!」

 肩を揺らせて笑いを堪える理志(さとし)につられて優衣香も笑い出した。

「ああ、そういう……そうか……んふっ」
「ん? なに?」
「今はもう兄ちゃんは髪型変えたよ。手入れが大変だからって言ってて……なんだ、そういう意味だったんだ……」
「ん? 髪の毛を短くしたの?」
「んふっ……いや、まあ、毛の量は半分になったのは確かだよ」
「んん?」

 理志(さとし)は優衣香に、「兄ちゃんに会った時のお楽しみって事にしておいて」と言い、鏡越しの優衣香に笑いかけた。

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