うろ覚えの転生令嬢は勘違いで上司の恋を応援する

ノアの中に眠る悪魔

 セドリック王子が語られたのは、13年前の満月の夜に起こった事件。

 その日、彼は兄である第五王子殿下と真夜中に城を抜け出し塔の中に忍び込んだ。

 満月の夜になると、塔から不思議な光が見えると使用人たちの間で噂になっていたのだ。好奇心を抑えられなかった彼らはその噂の真相を確かめに行った。

 彼らは塔の階段を上がり頂上に辿り着いた。そこでは、小部屋の扉の前で数人の神官が1人の男を取り囲んで詠唱していた。彼らを遠巻きに、国王陛下や魔術師団長、そして当時の図書塔の司書たちがその様子を見守っていたという。

 男は床の上で藻掻き苦しんでいた。
 銀髪に、オレンジ色の目の男。瞳の色は赤色に近かったという。

 幼い彼らはその光景にすっかり怯えてしまい、息を呑んだ。その時、第五王子殿下がたてた物音に驚いた神官たちが詠唱を止めてしまう。床に身を投げ出していた男が起き上がると、目が合った。

 王子殿下たちは急いで逃げようとしたが、男は真っ赤な目を光らせ影を伸ばすと、第五王子殿下を捕まえた。

 魔術師団長が慌てて魔法で引き離したが、その時にはすでに第五王子殿下は目を閉じて動かなくなったのだと言う。それ以来、眠ったままだそうだ。

「お言葉ですが王子殿下、満月の夜は悪魔が力を増して起きてしまうのです。それを抑えているところに第五王子殿下が居合わせてしまい防げなかったのです」
「この囚人を飼っていなかったら起こらなかった事でしょう?」

 刃の向きが変わった。
 さっと血の気が引いて行く。

 彼は、侯爵が要望に応えなかったら本気で私を殺すつもりだ。

「それだけではない。国王陛下(父上)も誰も兄上を助けてくれない。みんなのお気に入りのエドワール兄上が王太子になるのも時間の問題。反乱分子となりかねない敗者を始末する口実で助けなかったのでしょう?」
「まだ方法が無かったのです。聖女が現れたから助かるかもしれません」
「そんな気休めで……歴代の王たちはみな王位継承権から敗れた兄弟たちの反乱を恐れていたと聞く。悪魔を飼い始めたバージル王だって悪魔のおかげで己に敗れた兄を処理できた。絶えず子どもたちを争わせ悲劇を繰り返す王族なんて、滅べばよい」

 セドリック王子が冷静さを失っているから刺激するようなことは言えないが、決して近づいてはいけない、監獄である塔に忍び込んでしまった彼らに非がある上に、この事件を利用して貴族派や焚書魔術組織に言いくるめられているようにしか聞こえない。

 刃が、押し付けられる。

「ノア・モルガンをこちらに渡してもらおう」
「あーあー、バージルが聞いたら泣いちまうような話だな」

 ノアが侯爵を蹴った。不意に蹴られた侯爵は前のめりになる。
 続いてノアの目がセドリック王子を捕らえると、私を拘束している力が微かに緩んだ。

「行けよオッサン。悪魔《あいつ》が起きたら後は頼んだ」
「モルガン?!」
「あんたが相手だとあの坊ちゃん死んじまいそうだし俺が対処するわ」
「しかし……」
「拘束の魔法と愛し子の力があればどうにかなるだろ」

 ノアが手をかざすと、セドリック王子は呻き声を上げて剣を投げ捨てた。続いて彼の身体が私から離され、壁に打ちつけられる。
 身体が解放されたところ、侯爵に回収してもらった。

「全く、こうなるから出るなと書いたのに」
「……ごめんなさい」
「生き残ってくれたらそれでいい」

 ノアの苦しそうな声が聞こえて彼の方を見ると、胸を掴んでよろめいている。

「化け物が……!」

 セドリック王子は起き上がり魔法で床に魔法陣を書いてゆく。目にもとまらぬ速さで短剣を手に取りノアの首元に切りかかる。記憶の中でノアが印を書いていた場所だ。
 
 王子殿下は刃についた血を拭き取りその手で魔法陣に触れる。

 侯爵が本棚に手を触れ拘束の魔法をかけると、塔全体に音が響き、ノアが床に倒れ苦しみ始めた。
 セドリック王子の舌打ちが聞こえてくる。

「解除《リーリズ》」

 セドリック王子が呪文を唱えるのと同時に、ノアが魔法で彼を吹き飛ばした。ハワード侯爵がすぐに動き、彼を庇って体が壁に叩きつけられるのを防いだ。そして、彼が態勢を立て直す前に顔を掴んで自分の方に向けさせると、魔法で眠らせた。

 魔法陣はどんどん不気味な光を宿す。
 それに呼応してノアの瞳の色が赤色に変わってゆく。

 塔に響く音が止んだ。

 黒い靄のようなものがノアから放たれて、彼は地面に伏せた。靄はどんどん大きくなり、床に影を落とす。その影が彼を捕らえると、彼は鋭い叫び声を上げた。

 禍々しい赤黒い雲が空を覆う。
 幾つもの靄がより合わさって、黒く大きな身体が出来上がってゆく。

 悪魔ニグレードアが、目覚めてノアの身体から出てきてしまった。

「久しぶりだな、混ざり物の契約者殿。長らく珍妙な魔法で我を締め上げた罪は重いぞ」
「ずいぶんな挨拶だな。混ざり物ってなんだ?」

 ノアは床からニグレードアを睨み上げる。
 その瞳はいつものオレンジ色に戻っている。

「知らなかったのか。お前、精霊と人間の混ざりものだろう。星の力を受けるごとに精霊としての力が強くなっていたはずだ」
「ああ、だからこんなに血を流しても死なないわけか」
「呑気なものだな」

 ニグレードアの影が幾つも枝分かれしてノアに伸びてゆく。

「こんな便利な器はそうそうあるまい」

 今ここで、あいつを消さなければノアが危ない。

 白い手袋に替えて絵本に触れる。
 ノアを守る力を貸して欲しいと、そう念じて力を込める。

「解放《ドリベア》」

 本から光りの蔦が伸びてニグレードアの身体に巻き付いた。

「小娘が……!」

 ニグレードアの視線がこちらに移り、影を膨れ上がらせて蔦を引き裂いた。

 影が私をめがけて飛んでくる。
 その凄まじい気迫に、足が動かなくなる。

 もうだめだ。

 そう思った刹那、侯爵が目の前に立ち塞がり懐から聖書を取り出した。その手には白い手袋がはめられている。

「引用《クォート》」

 空気をなぞるように指を滑らせると、聖書から幾つもの文字が溢れて光る壁が現れ影を防ぐ。
 しかし影の力が強く、壁は今にも壊れそうな音がする。

 このままでは押されてしまう。

 焦りながらもこんがらがる頭の中を掻きまわして使えそうな魔法を探っていると、空からすっと閃光が放たれ影を蒸発させた。

「今回は間に合ったわよ!このすっとこどっこい!」
「いや、間に合ってねーから。なんか黒いの見えてるから」
「まだ塔の中に居るからセーフよ!」
「よしよし、わかったから聖女の仕事して?塔の中は今ちょうど一大事の真っ只中よ?」

 ジネットとエドワール王子の声?

 急に空から騒がしい声が降ってくる。
 ()()一大事の重々しい空気をブチ壊すような台詞の数々に、私たちだけでなくニグレードアまでもが呆然と空を見上げる。

「そこまでよ!私の華麗なる一撃で二度寝しなさーい!」

 聞き覚えのある声が近づいてくるとともに何かが上空に現れた。
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