桜ふたたび 前編
一瞬、澪は怯え顔をして、ギクシャクと姿勢を正し、神妙に頭を垂れた。
まるで教師の説教を覚悟した落ちこぼれ生徒のよう。
こんなに意気地がなくて、この先どうやってあのジェイと付き合っていくつもりなのか。──リンは半ば呆れ、半ば哀れんだ。
したたかな女性ですら逃げ出すのだから、今回も長続きはしないだろう。
「ご存知だと思いますが、彼の双肩には、AXグループ全体の命運がかかっています。彼の一瞬の油断が、取り返しのつかない莫大な損失に繋がる。彼は常に飛び続け、勝ち続けなければなりません」
ジェイの精神の中心には、青白い炎の柱が熾っている。
その炎は、酸素を求めるように征服すべき獲物を求め、対象が強大であればあるほど、烈しく燃えさかるのだ。
ターゲットを失い足を止めたとき、彼は自らの炎で自らを焼き焦がし、自滅するだろう。
「今、彼が羽を休めてしまったら、失速して墜ちてしまいます」
澪がはっと目を上げた。
「ですから、彼の前進を妨げることはなさらないでください。勝ち続けてこそ、ジャンルカ・アルフレックスなのですから」
クールに言い終えたアイスドールは、「はい」と素直に頷く澪に、わずかに表情を歪めた。
今までも、ジェイの分刻みのスケジュールを阻害し、ビジネスの障害になりかねない者は、彼の恋人だろうと排除してきた。
常に先を読み、彼の仕事の円滑化を図ること。世界を飛び回る彼に代わり、的確な対処を行い業務の流れを停滞させないこと。そして、彼にとっての面倒事を取り除くことが、エグゼクティブ・アシスタントに課せられた使命なのだ。
そんなリンを罵倒した者もいれば、ジェイに泣きついた者もいた。
だが、以降、二度と彼女らの顔を見ることはなかった。
澪のような反応は初めてで、甘いはずのデザートに、苦丁茶のような苦味を感じるリンだった。