桜ふたたび 前編
『おひとりですか?』

いきなり英語で話しかけられ、澪は咽せた。

そろりと振り返ると、薔薇のような笑顔が覗き込んでいた。

長く通った鼻筋、おそろしく彫りが深く、眉間が狭い。整えられた三日髭と顎髭、瞳は煌めくエーゲ海の紺碧。

男は甘い柑橘系のオーデコロンの香りをふりまいて、肩まであるフォックスブラウンのウェービーヘアを指先で掻き上げながら、折っていた腰を戻す。
タキシードの胸には、深紅のポケットチーフ。かなりの長身、そして、夢のように美しい。

澪は、顔と名を知っていた。

アレッサンドロ・デ・ロッシ。
数々の国際設計コンペで勝利した、ローマの建築デザイナー。今夜の主賓。業界誌を飾る有名人が、目の前にいる。

『レディーをひとりにするなんて、最低の男だな。そんな奴は放っておいて、さあ、こちらへ』

エスコートするように手を取られ、澪は引きつった顔を赤ベコのように振った。

紺碧の瞳が笑いながら、もう一方の手を澪の背中から脇に回し、席から立たせようとする。
澪は危うく悲鳴を上げそうになった。

「Itariano には気をつけて」

助かったと涙目で振り返ると、ジェイは澪の顔を見て、失礼にも吹き出しそうになっている。

《なんだ、もう戻って来たのか》

《元気そうだな、アレク》

きょとんとする澪の前で、ふたりはがっしりと握手を交わし、笑いながら抱き合った。
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