桜ふたたび 前編
長いカウンター席の目の前に、東京ベイの夜景が絵画のように広がっている。
照明を絞ったアーバンシックなウッディフロアには、気怠いブルーノートの旋律が流れ、笑い声さえ無粋に思えるほど静かだ。

アレクは身を乗り出し、ジェイの向こうに視線をやった。

《彼女、名前は?》

《MIO》

《名前くらい教えてくれよ》

《だから、〝ミオ〞という名前なんだ》

アレクはわけがわからんという顔をして、なんだそうかと笑った。〈Mio(私のもの)〉などと言うものだから、何の謎解きかと思った。

《それで、お前の〝ミオ〞はイタリア語か英語は?》

《いや》

アレクはオーバーアクションに肩を窄め、

《残念。仕方ない、お前から俺を紹介してくれ。なるべく華々しく、晴れやかに》

《君は有名人らしい。彼女は建築関係の仕事をしているから知っていた。大学卒業後に貿易商の家業を継がず、〝世界遺産を巡る〞と称して女漁りの旅をしていたことは、付け加えておいた》

アレクは愉快そうに声をあげて笑った。
それから、グラスを掲げて澪に向き直る。

《素晴らしい出逢いに》

ハバナクラブのモヒートを一舐め、内ポケットからシガーケースを取り出す。
モンテクリストの香りを確かめるように鼻に近づけ、先端を切ってシガーをあぶる。

お洒落で陽気で軽薄で女好き。だが、なぜか誰もが魅了されてしまう。
〈天性の人たらし〉とジェイは言う。アレクは褒め言葉だと受け取っている。
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