桜ふたたび 前編
一方、長い間自失していた澪は、ようやくのろのろと乱れた着衣を整えはじめた。

体の芯が焼けた鉄で貫かれたように痛い。
カラダの痛みよりココロが痛んだ。

悪い夢だと思いたかった。でも手首に残された指の跡が、現実だと訴える。
床に散った花びらを拾おうとして、震えの止まらぬ手に涙がこぼれた。

──大丈夫……。

かろうじて最後は膣外だったし、澪の女性の周期は正確だから、今、妊娠の可能性は限りなく薄い。

最初のときから彼は完璧に防御してくれたのに、だから澪もおそれず身を委ねられたのに、それほど、彼は自分を見失っていた。怒りに染まった瞳は、澪を見てはいなかった。

澪は突発的な暴力やヒステリーに強い脅迫観念をもっている。それが対人関係や人ごみでの不安に繋がっていた。
温和な人間でも、冷静な人間でも、何がきっかけでいつ心の底の鬱憤を狂気に変えて爆発させるかわからない。それはたぶん、母親から受けた折檻の記憶のせいだろう。

けれど、不思議とジェイに対しては、恐怖心を抱いたことがなかった。
確かにいろいろと振り回されはしたけれど、それはいつも澪が煮え切らないから。彼は強引だけど、決して激情に任せて人を傷つけるひとではない。
だけどそれは、彼の内に潜む凶暴さを、今まで知らなかっただけなのか。

いずれにせよ、彼を狼藉に走らせた原因は澪にある。
やはり澪は人との関係が保てない。こうやって気づかぬうちに神経を逆なで傷つけてしまう。

──これで終わってしまうの?

胸がキュウっと締め付けられた。
彼との関係もいずれは終わると覚悟していたはずなのに、いざとなると息ができなくなるほど苦しい。せめてこんなふうに傷つけあったままの最後は迎えたくなかった。

澪ははっと目を上げた。

イルミネーションの手前にバスローブ姿のジェイが映っている。タオルで髪を拭いながら、視線だけは気まずそうにこちらをうかがっていた。
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