桜ふたたび 前編

『トミー・パーカーが歓んでいたぞ。当分お前の顔を見ずにすむと。ワイフとジャン・◯ジェで祝杯をあげたそうだ。あのケチが!』

『ご用件は?』

表情ひとつ変えない相手に、言った方が渋い顔をした。

『見てほしいものがある』

エルは、デスクにあった封筒を、取りに来いとばかりに片手でつまんでヒラヒラ振った。

『Schloss Croze.』

写真を一瞥しただけで言い当てる弟に、兄は憎らしげに顔をゆがめた。

シュロス・クローゼは、ドイツラインガウに五百年の歴史を持つ名門ワイナリーだ。
極めて稀少な最高級貴腐ワイン〈トロッケンベーレンアウスレーゼ〉を、市場に送り出している。
さらに、その畑に囲まれた美しい城館は、五つ星ホテルとして名を馳せていた。

所有者はウォルフガング・クローゼ。
二つのブランドを掲げるグローバル小売業者〈クローゼ〉のトップだ。

近年の異常気象と貴腐菌の異変により、不作が続いているとはいえ、クローゼ本体の業績は堅調で、一族の象徴であるこの土地を手放すとは思えないが。
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