桜ふたたび 前編

ロシアの新興コンツェルン、ロイズ。
1990年代に石油事業会社として創業し、十年ほど前の投資会社買収を皮切りに、いきなり国際舞台へ登場してきた。
短期収益性追求が露骨で、雑食で貪吝。手段を選ばず手に入れては食い荒らすだけだと、芳しい評価は一つも聞かない。

そのロイズの№2が、ダボス会議中にカイザーと接触したとの情報があった。
彼らのことだ、クローゼ買収の尻押しをするふりをして、いずれカイザーごと丸呑みする算段だろう。

ロイズのミロシュビッチ会長が、黒海油田の売却問題でクレムリンの不興を買い、逮捕を恐れて極東の地へ退いたと聞くが、政府との交渉カードとして、危急の際の備えとして、軍需産業を掌中にしておきたいというところか。

甥の死への関与を疑うのは穿ち過ぎだが、そのくらいはやりかねない。

人権擁護活動家としての一面をもつウォルフガングは、ビジネスとはいえ、カイザーと手を結んだことを、生涯の汚点と恥じていた。

彼は人生の最後に潔斎しようとしているのだ。
神の恩恵と崇める貴腐菌を、殺戮兵器に悪用されてはならない。

この腐れ縁を断ち、正義を通すため、ロイズとの競合に無敗を誇るAX、ひいては、ジェイの介入を求めている。

そんなことに考え至らぬ、思慮の浅さ。
せっかくの〝命令〞が〝依頼〞になってしまって、母のお膳立ては裏目に出た。

『こちらで預かりましょう。年内に報告します』

資料を戻しながら、ジェイは泰然と席を立つ。

エルはケッと唾でも吐きそうな顔をした。

ポーカーフェイスの鼻先を、どうにかへし折ってやるつもりだったが、奴のことだ、鼻の骨が折れても痛痒を感じぬのだろう、と。
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