桜ふたたび 前編
「ここからが本題なんよ。実は彼な、新潟の古い造り酒屋の跡取りなんやわぁ。今は伏見の酒造メーカーに勤めてはるんやけど、お祖父さんが脳卒中で倒れはって、来年には新潟へ帰って家業を手伝わなあかんようになったんやて。
それもあってのプロポーズなんやけど……」
「それじゃあ、結婚したら千世も新潟に住むの?」
「そこよ、そこ!」
千世は、フォークをタクトのように上げ下げして言った。
「京都から五時間以上もかかるんよ。そんなとこ、お父はんかて絶対許してくれへんわ」
唇を尖らせて、まるで駄々をこねる子どものように言う。
「新潟やなんて。雪と田んぼしかないやん!」
ずいぶんな偏見だ。まるで新潟が地の果てのように言って、千世は不満をぶつけるように仔牛肉に力一杯ナイフを入れた。
澪は小さく息を吐いた。
千世がごく自然に他人に甘えたり頼ったりできるのは、家族からとても大切に育てられたからだ。
父からも兄からも〈我が家の姫〉と溺愛されて、だから少しわがままだけど堪忍してねと、彼女の母親から言われたことがある。
千世にとって〝家〞とは、自分を庇護してくれるどこよりも居心地のよい場所で、そこから飛び立つことなど考えたこともないのだろう。結婚願望は強いけど、現実的なことにはちっとも目が向かない夢想家だから。
「いっそ、蔵が潰れてくれたらええのに」
物騒な物言いに、澪は眉を顰めた。
「それに、あと二ヶ月しかないんよ? 急に言われたかて、なぁ?」
「彼だけ先に帰ってもらうのは無理なの?」
「そんなん、遠恋になってしまうやないの!」
千世はとんでもないと目を剥いた。
「無理、無理! 遠恋やなんて、うちみたいな寂しがり屋には絶対無理!
一緒には行きたいけど……でもなぁ、うちは京都生まれの京都育ち、友達もみんなこっちやし……」
「千世なら、すぐに友達ができると思う」
「そやけど……」
実のところ澪は、千世がとうに結論を出していることを知っていた。
女性の相談事の大半は、ただ打ち明けて、同調してほしいだけのもの。迂闊に意見したら、かえって煙たがられる。