桜ふたたび 前編

職場は男性の多い業界で、数少ない女性たちは年上ばかり。当然話は合わない。
そのうえ、まわりの男性たちが若い澪をあれこれと構うものだから、よけいに澪に対する風当たりは強くなった。

空気になることには慣れていたけれど、小さな集団では、空気さえもお目汚しになってしまうらしい。
陰湿な無視、悪意ある噂。精神的にまいっていたとき、優しく声を掛けて気遣ってくれたのが、柚木だった。

彼とすれば、高卒採用に反対する人事部長を説得して、〈美術部〉と言う理由だけで澪を採用した責任を感じていたのだろう。彼自身、若い頃は絵描きを志していたと聞いている。

恋愛の意識も自覚もなく、ただ求められるまま、流されるままに男女の関係になった。
それを〝愛〞だと信じようとした。
だけど、ほんとうは、心の底にいつも白々としたものが流れていることを、澪は気づいていた。

だから、命を授かったときも、〝愛するひとの子〞という意識は、まったくなかった。
紗子の妊娠を聞かされても、なにも感じなかった。
あんな修羅場にあっても、子どもを諦めようとは思わなかった。

澪は、自分が望んで得られなかったものを、子どもに託そうとしたのかもしれない。
この子が愛を知れば、自分も愛を知る。
この子が幸せなら、自分も幸せになれる。

そんな身勝手な思いが、まわりを不幸のどん底へ突き落とすとは、考えもせずに……。
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