桜ふたたび 前編
「澪ちゃんも、着物、よう似合うてるわ。都をどり、観てきたんやて? 退屈やったんと違う?」
慎一の口調に同情が含まれていたのは、澪が千世の趣味に付き合わされてきた歴史──ビジュアル系バンドの過激なコンサートやら、アイドル主演のミュージカルやら、人気イケメン選手の試合観戦やら──を知っているからだろう。
今日は日舞の師匠からチケットをあてがわれ、花見ついでにと誘い出された。
「ハロー!」
澪はギョッとした。
千世が上体を斜めに乗り出し、あふれんばかりの笑顔を男に向けている。
ばつ悪く首を回すと、彼は冷然と視線も向けない。
「ナイス・ツー・ミーチュウ。マイ・ネーム・イズ・チセ。ホワッツ・ユア・ネーム?」
リズムをつけた中学生英語を堂々と披露した千世は、答えない相手に笑顔をフリーズさせた。
それから、思い直したように、小声で澪をせっついた。
「ちょっと、あんたが聞いてえな。うちの英語では、通じひんみたいやし」
──通じない、以前の問題なのだけど。
「あのね、千世……」
千世は、男への笑顔をキープしたまま、苛々と足袋のつま先を踏み叩く。
「もったいぶらんと早よ聞いてえなぁ」
「でも──」
「は・よ・う!」
「このひと、日本語できるから!」
「まじでぇ?!」
あっと、澪は口を押さえた。
女将はビールサーバーのレバーに手をやったまま、慎一は大皿に菜箸を伸ばしたまま、驚いたように澪を見つめている。
ただ一人、当人だけが、無表情を変えなかった。