桜ふたたび 前編
──なんでだろう……?

澪は足を止め、回れ右をした。

ジェイに教えられたとおりに歩いてきたはずなのに、背丈より高い生垣の小路に入って、もう10分近くは経っている。
曲がり角に立つアフロディーテ像も、白と黒の蔓草が描かれたモザイクの路も、聞こえる小川の音も、立ちこめる木々の匂いも、さっきと同じ。

──同じところを、ぐるぐる回っているのかな?

森を渡る風に、植物たちがザワザワと蠢いた。
甲高い鳥の声がすぐ近くに聞こえるのに、姿は見えない。
まるで緑のラビリンスに囚われたようで、薄気味悪い。

不意に、背後でガサガサと音がした。

──なにか、いる?

息を詰め、こわごわと覗き込む澪の前に、突然人間ほどの影が飛び込んできた。

「ひゃあぁ……」

悲鳴は声にならず、澪は腰が抜けたように尻餅をついた。

現れたのは、犬。
垂れ耳のファサード(羽根飾りのような直毛)が美しい金色の毛並み。すらりとした首に、シュッと長いマズル。賢そうな眼差しの大型犬は、野犬ではなさそうだ。

「えっと、あの……ボンジョルノ?」

すまし顔で横目を向けた犬が、臼歯を見せて薄笑ったと思ったのは、錯覚だろうか。

“bu bu! bu bu!”

「あ、ああ、吠えないで。決して怪しい者ではありませんから」 

鼻先を誇らしげに上げて吠え続ける犬に、へっぴり腰の四つん這いになって必死に説得を試る澪の耳に、クツクツと笑いを噛む声がした。

『Good job,CARA.』

呆気にとられる澪の前で、どこから現れたのか、ジェイがワシワシと犬の耳の裏を撫でている。

澪はへなへなとへたり込んだ。
盛大に尾っぽを振っていたカラが、横目で小馬鹿にするように嗤ったのは、絶対に澪の被害妄想ではないと思う。
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