桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀

朝のダイニングルームに、エヴァたちの姿はなかった。
ジェイは毎朝の日課で、数部の新聞に次々と目を通しながら、澪の食事が終わるのを待っている。

途中、澪が支配人と勘違いしていた執事のファビオが現れた。
ジェイから何やら指令を受けると、ファビオは澪を見つめ半瞬の間を置いて瞬きし、薄くなった頭頂部がわずかに見える程度に点頭して、退室していった。

はじめて会ったときから、なにかに似ていると気になっていたのだけれど……。

──眼鏡をかけた黒山羊。

しばらくして、黒山羊はメイドを伴って戻ってきた。
栗色の髪を高い位置でシニョンにまとめ、小柄で地黒で、団子鼻を横切るそばかすが愛らしい。

潮の香りがしそうな少女は、にこにこと人懐っこい笑顔を澪に向けている。
新人なのか、そそっかしいのか。澪はすでに二度、ファビオに叱られている場面を目撃していた。

「彼女はマリア。私の留守中、澪の専属にした」

「……はい?」

澪の戸惑いなど委細かまわず、ファビオは端厳な姿勢を微塵も崩さずに右手を後ろに回して目礼。マリアはまったく落ち着きのない跳ねるようなお辞儀をして、ふたりともさっさと扉の向こうへ消えてしまった。

ジェイはこれから急用でパリへ向かう。
「大晦日までには戻る」と言っていたけど、昨夜も長い時間パソコンの前で考えこんでいたし、彼にしては曖昧な口ぶりだったから、期待はできない。

初めての外国。言葉も通じないまま一週間。
すごく不安でしかたがない。──だからって、専属のメイドさん? 

「ルナも私と発つと言っていたから、夕食は部屋に運ばせよう。家の者は英語で通じる。
何かあったらマリアを呼ぶといい。澪の希望は、何でも叶えるように言ってある」

「それなら、お願いが……」

「何?」

「ホテルに泊まらせてください」

「ダメ」

にべもない。

ただでさえ肩身が狭いのに、赤の他人が図々しいと思われるに決まっている。
もしまた、ジェイのお母様と鉢合わせでもしたら──地獄だ。
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