桜ふたたび 前編

とにもかくにも、澪は無事に戻ってきた。
ヒデとかいう男の処遇は後にして、彼女が手元にいる限り、危害が及ぶことはない。

ジェイは澪の肩を回して振り向かせると、刻印をつけるように額に唇を押し当てた。
瞼に、頬に、鼻に、そして、唇に触れようとしたとき、澪が小さくささやいた。

「風邪がうつります」

「澪のものなら、すべて欲しい」

「ジェイが望むなら、なんでも差し上げたいんですけど……上げられるものを持ってなくて……」

男心をくすぐることを、潤んだ瞳で言うのだからたまらない。
問題は、〝愛の告白〞をしているという自覚が、当人にはまったくないことだ。

いや、実際のところどうなのだろう?
苛立つくらい、日本人は肝心なことをストレートに口にしない。言葉など減るものでもないのに。

ジェイは、人差し指をそっと澪の唇に押し当てた。

「それなら──言葉を。私を愛してると、言ってくれないか?」

澪は弱り顔を浮かべる。

「私を、愛してる?」

何度こんな問答をしただろう。
ベッドの中でも、澪は〝愛してる〞と決して言わない。

「何でもくれると言ったのに」

「でも……」

「私は何回でも言う。澪を愛してる。愛してる。愛してる」

「……そんなに言われると、ありがたみがなくなります」

真っ赤になりながら照れ隠しを言う澪に、ジェイは呆れたように苦笑した。

「贅沢だなぁ」
< 205 / 313 >

この作品をシェア

pagetop