桜ふたたび 前編

3、薔薇のパティオ

ステージでは年越しライブが始まった。
掠れた低音ですれ違う恋人たちを綴った恋歌は、甘く切ない。彼の代表曲、と言うか唯一のヒット曲だが、一年の集大成としては暗すぎるし、暗示めいて気分が滅入る。

ともあれ、クリスが取り巻き連中にかっさわれてくれたことを、アレクは感謝していた。あのふたりの雰囲気を目の当たりにしては、澪も内心穏やかではなかっただろう。

それより、シルヴィの視線が恐ろしい。
ジェイの不徳への責めをこちらへ向けるな。そりゃ確かにいろいろあったけれど、彼のようなデリカシーに欠けた行いはしたことはない、はずだ。

『ジェ~イ!』

興ざめな声にアレクとシルヴィが眉を顰めるなか、邪険に人を押しのけて現れた赤いドレスの女が、突然ジェイの首に抱きついた。

ヤドカリのように高く巻かれた金髪(100%カラーリングだが)、鼻筋が細く小鼻が小さい鼻(おそらく整形だ)、眉間の広い吊り上がった小鳥目(これは天然か?)、エンパイアラインのスパングルが、妖しい鱗のように照明を反射させている。
そんな存在感のあるヘアスタイルやドレスより、胸元や耳朶や手首や指に飾り立てられたゴージャスなジュエリーに、誰もが目を奪われた。

『逢いたかったわ』

女はとても挨拶とは思えない過激なキスをした。

『メイファ──』

ジェイは丁重に、しかし目に見えぬ力強さで女の体を引き剥がした。唇の端を拭った親指に深紅の口紅を認めて、さすがに舌打ちをしたが、メイファと呼ばれる女は気にする様子もない。よほど放胆な性質らしい。

『わざわざローマに来て正解だった。この間、東京でパーパと会ったのでしょう? ひどいわ。日本まで来ていて連絡してくださらないなんて』

ジェイの手を両手で握り、くねくねと科を作りながら上目遣いに甘ったるい声を出す。今どきコメディドラマでもそんな演技はしないと、アレクは胸が悪くなった。

“何だ? あの騒々しい女は”

“パリのコレクションで何度か招待客として見かけたわ。成り上がりの親の金と人脈でパリのクラブ入りしたけど、某国のプリンセスに暴言を吐いて追放になった、おバカな中国人”

シルヴィの簡潔な紹介に、アレクは愉快そうに笑った。

それにしても趣味が悪すぎる。ジェイのことだから仕事がらみだろうが、妙齢のギラギラした下心が丸見えで、あんなのに手をつけたら最後、結婚するまで追いかけられるのは目に見えている。

澪はというと、ただ呆気に取られて、ジェイに蛇のように絡むメイファを見つめている。

アレクは警告の咳払いをしようとして、咽せた。ジェイがメイファと連れだって歩き出したからだ。

“おい!”

“澪を頼む”

ジェイは肩越しに言い残すと、振り返りもせずに人垣の中へ消えて行った。
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