桜ふたたび 前編
《ああ、いつ見てもお美しい!》
トニオは駆け寄るように手をとり、大仰に膝を折って甲にキスをした。
ジェイは心の中で失笑した。
敬愛の作法が、見ていて不快ですらあるのは、性的欲求と獲得欲求をプンプンと匂わせているからだ。
『あまり他の女性を褒めるものではないわ。あなたのパートナーが、気分を悪くされるでしょう?』
敵愾心を隠しもしないメイファが、鼻先でフンと笑う。
そして、大根役者の見え透いた笑顔で、
『私こそごめんなさい。あなたのエスコートを取り上げてしまって』
(あら、いたの?)という風に、クリスはゆっくりとメイファに顔を向けた。
バチバチと視線が音立てても、クリスは余裕の笑みを浮かべている。
『謝罪が本心なら、早く彼を解放して差し上げてよ。可愛らしい方が、あちらで心細くしていらっしゃるから』
メイファは怪訝な顔をして、それから(ああ、そういうこと)とニタリと笑った。
『ジェイを振るなんて、よほど素敵な殿方とご一緒なのね。ぜひお目にかかりたいわ』
『今夜は一人よ。あなたと違って、ボーイフレンドが少ないの』
クリスはにっこり微笑んだ。
メイファの頬がぴくりと痙攣する。
『それで、女性たちがそわついているのね。いつ、あなたにパートナーを奪われるかわからないもの』
クリスはしゃなりと体をくねらせ、メイファの耳許に囁いた。
『安心して。たとえ彼が私に跪いても、せっかくの今夜のお相手を、取り上げたりしないから』
屈辱に顔を沸騰させるパートナーを庇うことさえ忘れ、トニオは鼻先に餌をぶら下げられたまま待てをするブルドッグの如く、よだれを垂らしそうな表情で女優を見つめている。
矢も盾もたまらずと、トニオは跪きそうな勢いでクリスの手をとった。
《クリスティ~ナ、ぜひ一度、うちの番組に出演してください。今度、いや、この後、ふたりでゆっくりとお話ししましょう》
《あなたの局のワイドショーには、年中出演しているようだけど?》
クリスはさらりとかわし、メイファに流し目を送る。
そのとき、言葉の剣戟に呆れているジェイと目が合って、彼女は視線で言い訳をした。「これは一種のレクリエーションよ」、と。
《そうだわ》
クリスは軽く手を打って、朗らかに微笑んだ。
『あちらにリュック・アーノ監督がいらしてたから、ご紹介しましょう』
それから、メイファに人を食ったような顔を向けて、
『あなたはパリでお知り合いだったようだけど、いらっしゃる?』
唐突なパンチに、メイファは数秒凍りついた。やっとのことで笑顔をつくり、
『……いいえ、今夜は結構よ』
とだけ、苦々しく答えるのが精一杯だった。