桜ふたたび 前編
Ⅺ すれ違うこころ

1、カプリの小鳥

夜明け前、澪を捜してクルーザーのデッキへ上がったジェイは、ブリッジに彼女の姿を見つけて、思わず足を止めた。

昨夜、新年の祝賀ムードのなか、アレクが“vedi Napoli e poi mori(ナポリを見て死ね)”などと言い出したとき、ジェイは戯れ言と本気にはしていなかった。

イタリア南部の年越しは、銃撃戦のように爆竹を鳴らし、山火事のように発煙筒を焚き、小型爆弾のような花火をぶっ放し、人騒がせな乱痴気騒ぎが夜通し続く。
その有様はもはや陽気を通り越し、興奮して暴徒と化した市民によって、ロケット花火の乱射や、道路や壁に投げつけられたビンの襲撃を受け、慣れない外国人にはしばしば危険な状況が発生する。
さらにこの地方には、新年とともに窓から不要物を投げ捨てると言う怖ろしい奇習が未だ残る町があり、家具や電化製品の直撃を受けて、毎年少なからず負傷者が出る。

それを、人混みを嫌う澪が賛同したことがジェイには解せない。

案の定あまりの狂躁に恐れ戦き、結局、早々に町を脱出して、アレク所有のキャビンクルーザーで夜明けを待つこととなったのだ。

澪は、茫洋と明るむ水平線を見つめている。

暁の帯が空を瑠璃色へ染めて、星が消えてゆく。肌に感じる風はなく、船体は眠ったように静かだ。まだ騒ぎ足りないのか、静かな波音に紛れて、港の方で渇いた爆音が響いていた。

声をかけると、澪はゆっくりと振り向き、花のつぼみが綻ぶような笑顔を見せた。

「寒いだろう?」

頬に落ちた髪が夜の潮風に濡れていた。ベッドも冷たいままだったから、一睡もしていないのかもしれない。

「眠れなかった? 船酔いしたかな?」

澪は微かに首を振った。

日本では、年越しは家族と穏やかに神を迎えるのだと言っていたから、イタリアのお祭り騒ぎは刺激的すぎたのかもしれない。

コツコツと硝子を叩く音に振り返ると、キャビンにアレクの姿があった。
人差し指を上に立て、出航するぞとサインを送っていた。
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