桜ふたたび 前編

長い影が、部屋の床を切り裂いている。

振り向くと、逆光を背負い、シルエットだけが、まるで一枚の絵のように浮かび上がっていた。

男は何も言わず、ただじっとこちらを見ている。

柚木は弾かれたように立ち上がった。
彼が、澪の恋人であると直感したからだ。

足早に玄関へ向かう。
すれ違いざま網膜に焼きついたその顔に、雷に打たれたような衝撃が走った。

先入観とは怖ろしい。
澪から〈外資系の会社に勤めている〉と聞いていても、まさかそれが外国人だとは、考えもしなかったのだ。

──つまりあれは、旅行中のカップルの、ありふれた写真だったのか。

真相は真実を深く穿つ。
柚木は心の中で呻いた。

澪を苦しめているのは、ゴシップ記事や世間の中傷ではない。
再び誰かを死に追いこんでしまった、己の業の深さだ。
妻の悪意が、今も澪を切り苛めている。

ドアが静かに音を立てた。

ジェイと澪の心にも、一つの扉が閉まろうとしていた。
< 255 / 313 >

この作品をシェア

pagetop