桜ふたたび 前編
「ひどい顔だな」
ジェイはあえて茶化すように言った。
瞼は腫れ上がり、目の下に赤紫のクマがある。涙で黒髪が貼りついた頬は痩け落ち、濡れ落ち葉のように蒼い。
あまりの憔悴に、直視するのもはばかられた。
「澪が好きな、甘くないクロワッサンを買って来たんだ。朝食にしよう」
澪は、ただそうすることが日課のように、よろよろと立ち上がり、カウンターテーブルで珈琲を煎れはじめる。
暗く濁った目でコーヒーメーカーを見つめる顔は、無表情。
開き直りにもとれる態度に、ジェイは再び昨夜の怒りを甦らせ、奥歯を噛んだ。
スケジュールを強引に変更して、やっと駆けつけたというのに、あんな仕打ちを受けるとは思いもしなかった。
味わったこともない屈辱に、全身の血が沸騰して逆流するようだった。
もしもあのとき、あの男の行動が一秒でも後れていたら──怒りに震えた拳で、殴りかかっていただろう。
それなのに、妻の情事を覗いてしまった髪結の亭主でもあるまいし、澪の顔色を窺って問い質せずにいる。
──なぜ聞かない? 何を恐れている? 何という体たらくだ。
そのとき、湯気の向こうで、澪の体がぐらりと揺れた。
地震かとあたりを見渡すジェイの前で、澪はカウンターテーブルに手をついて、突然、膝から頽れた。
「澪!」
抱き起こした顔は土気色。閉じた瞼の奥で、眼球が不規則に回転している。
急いで抱き上げ、ジェイは絶句した。
その体は、まるで子どものように軽かった。