桜ふたたび 前編

「たかがって言いますけどね……」

声が震えていた。

「ネットに高校の卒業写真が流出したり、前にも不倫相手の奥さんを自殺させたとか、AVに出てたなんてデマ動画まで出回って……まるで犯罪者扱いやったんですから!」

千世の声は次第に熱を帯びていく。

「京都は狭いんです。すぐに噂が広まるし、隠し撮りされたり、部屋の前に落書きされたり、頼んでもないケータリングが大量に届いたり……。近所迷惑やからって、澪、電話もインターホンも切ってるんですよ。買い物にもいかれへんから、あんなに痩せてしもうて!」

興奮した糾弾に、周囲の客が何事かと顔を向けた。

ジェイは返す言葉がなかった。
マスコミを舐めていた。いや、もっと怖ろしいのは、メディアさえも踊らせる大衆のパワーだ。

「──そやけど、ほんまに澪が傷ついてるのは、そんなことやあらへん」

呟くように言うと、千世は法廷で真実を告げる証人のような目で、まっすぐジェイを見据える。

「クリスティーナ・ベッティのことです」

「その件は誤報だと、澪に説明してある」

「あの写真は? 週刊誌に載ってたキスシーン」

「ああ、あれは──」

「言い訳してもムダですよ。澪、その現場を目撃しているんやから」

「え?」

はじめてジェイの瞳に、動揺の色が浮かんだ。

「目の前であんな濃厚なキス、見せつけられたら、いくら鈍い澪でもショックやったやろ……」

──そうだ、あの後だった。

パティオのベンチに澪を見つけ、パーティー会場へ連れ戻ったときから、彼女の様子はどこかおかしかった。
カプリでも、いつになく情熱的で、それでいて淋しげだった。珍しく感情の波が激しかったことを覚えている。
別れの時間が迫っているからだと、そのときは思っていた。

「そのうえ、翌朝に自殺やなんて、腹いせとしか思えへん! それに、あなたには他に何人も恋人がいるそうやないですか。ウブな澪をこれ以上、あなたのゴタゴタに巻き込んで傷つけるのは、やめてください!」
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