桜ふたたび 前編
「そんな男はんなら、女の方がほおっておかへんやろねぇ」

先刻の仕返しか、ほんの一滴厭味を垂らしたママを無視して、

「澪、抜け駆けはあかんよ」

カクテルに咽せる背を、「冗談、冗談」と笑いながら叩く。

「そんな度胸があれば、とうにええ男、捕まえてるよな。この歳まで恋愛経験0なんやから」

「まさかぁ」

「そのまさかぁなんよ。何せご存じのように、引っ込み思案のコミュ障やからね」

「まあ、勿体無い! せっかくのべっぴんさんが宝の持ち腐れやないの。うちと代わってちょうだい!」

千世は、ミックスナッツからピーナッツをつまみ出し、口に放り込んだ。

「澪は人魚姫やから、想いは相手に伝わらへんけど、ええのん?」

「そ・こ・が、澪ちゃんのええとこやないの。今日日、澪ちゃんみたいに人の話をちゃんと聞いてくれる()は天然記念物、いや、絶滅危惧種よ。もしも澪ちゃんが、このきれいな顔で自信満々なおしゃべり女やったら、ネチネチと虐めてさしあげるわよ。京女のいけずを思い知れって」

千世は手についたカスを(はた)き落とし、今度はピスタチオを指で探りながら、

「澪は不思議なんよね。無口でおとなしくて目立たないのに、そこにおるって雰囲気っていうか、変な存在感だけはあるから、なんや守ってやらなあかん気になってしまう。ようよう考えたら、澪はナチュラルに食えへん女なんやわ」

千世とママは感心したように頷き合う。このふたり、気が合うのか合わないのか、両方とも美形好きで肉食系であることは間違いない。

「あ〜あ、ヴェローナの王子様、もういっぺん、会いたいなぁ~」

千世の恍惚とした横顔に、澪は心の中で残念だけどと同情した。
今夜のことは偶然が重なっただけ。偶然はしょっ中起こらない。あれば奇跡だ。

ふと、ジェイの顔が浮かんだ。
かんざしを拾い上げた指の長さ、澪を強引に誘った腕の力強さ、不思議な音色の声、甘い香り、そしてあの透き通った瞳──。

一瞬、澪の胸の奥を、花嵐のような感情が吹き抜けていった。
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