桜ふたたび 前編
千世が、いきなりキラキラした瞳を澪に振った。
「なぁ、結婚してはると思う?」
「ど、どうかな?」
「指輪はしてへんかったけど……。時計は○ネライのラジオミール、財布は○ッチ、靴は○ェラガモやった。さすがトップバイヤーやわ」
顔ばかりに見とれてたと思っていたら、抜け目なくチェックしていたとは。
「そんな男はんなら、女の方がほおっておかへんやろねぇ」
先刻の仕返しか、ほんの一滴厭味を垂らしたママの言葉を、千世はまったく無視して、
「澪、抜け駆けはあかんよ」
カクテルに咽せる背を、「冗談、冗談」と笑いながら叩く。
「そんな度胸があれば、とうにええ男、捕まえてるよな。この歳まで恋愛経験ゼロやねんから」
「まさかぁ」
「〈まさかぁ〉なんよ。何せご存じのように、人見知りの引っ込み思案、そのうえ重度のコミュ障やからね」
「まあ、もったいない! せっかくのべっぴんさんが宝の持ち腐れやないの。うちと代わってちょうだい!」
千世は、ピーナッツをひとつ口に放り込み、
「澪は人魚姫やから、想いは相手に伝わらへんけど、ええのん?」
「そ・こ・が、澪ちゃんのええとこやないの。この顔とスタイルで、自信満々なでしゃばり女やったら、ネチネチと虐めてさしあげるわよ。京女のいけずを思い知れって」
「それな! わかる〜!」
指先についたナッツのカスを、手を叩いて払い、
「中学のときもなぁ、東京弁の美少女転校生なんて、女子のいじめのターゲットにされてもおかしゅうなかったのに、いっつも空気みたいに存在感を消して、不思議とスルーされてたんよ。
ようよう考えたら、澪はナチュラルに〝食えへん女〞なんやわ」
千世とママは、感心したようにうなづき合う。
このふたり、気が合うのか合わないのか。両方とも美形好きで肉食系であることは間違いない。
「あ〜、ヴェローナの王子様! もういっぺん、会いたいなぁ~」
千世の恍惚とした横顔に、澪は心の中で(残念だけど)と首を振った。
今夜のことは偶然が重なっただけ。偶然はしょっ中起こらない。あれば奇跡だ。
ふと、ジェイの顔が浮かんだ。
かんざしを拾い上げた指の長さ、澪を強引に誘った腕の力強さ、不思議な音色の声、甘い香り。そして……あの、透き通った瞳──。
一瞬、澪の胸奥を、花嵐のような感情が吹き抜けていった。