桜ふたたび 前編
Ⅱ YESかNOか

1、水に映る月

京は、艶やかな薄紅色から、瑞々しい青葉の季節へと移っていた。
寺社や民家の石塀に可憐な躑躅があふれ咲き、庭の花水木が街に彩りを添えている。

季節が移ろうと、澪の一日は変わらない。何事もなかったかのように、いつもの日常が過ぎてゆく。

平凡──。それが、澪にとっては最良だった。

ときおり、このまま漫然と年を重ね、無為に死んでゆくことを考えると虚しくはなる。
けれど、何かの才に恵まれているわけでもないし、社会に貢献できそうな信念もない。

母が言うとおり、自己主張も自尊心もない、何の取り柄もない役立たずは、おそらくこのままおひとり様で生きてゆくだろうのだろうから、ひとり暮らしにはカツカツの収入でも、健康で、定職があるだけで、ありがたいと思っている。

澪は、人との距離が近くなると不安になる。
どこまで踏み込んでいいのか、接し方の境界がわからないからだ。

自分の存在が目障りになっていないか、自分の言動が相手の気分を損なわないかと、いつも不安で一歩も動けず、かえって相手に気を遣わせたり、苛立たせたりしてしまう。

反省して後悔して自己嫌悪。そんな自分がますます嫌になって、だからつい人交わりを避けてしまう。

それでも、こんな澪にも友人がいる。

親友と呼ぶのはおこがましい。特に千世にとっては、あまたいる友だちの一員に過ぎないだろう。
けれど、いちいち相手の言葉の裏の裏を考え悩む澪にとっては、京都人には珍しく思ったことは素直に口にして、表情は子どものように正直で、何事も己にポジティブに解釈できる彼女は、とても楽な存在なのだ。

そしてもうひとり──。
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