桜ふたたび 前編
「撃たれたって、命に別状は? 意識は?」

すがるように問う澪に、ルナは暮れゆく空へ遠い目を向けて短く嘆息した。

「状態は──、いいと言えない。ジェイは今、とても厳しい立場にいるわ。このaccidentで、AXのstocks(株価)が大暴落して、損害を被った投資家から、彼の解任要請が出されたの」

解任要請が出されたということは、生命に危険はないということだろうか。
それにしても、ジェイの動静が株価に影響するなどと、澪は考えたこともなかった。〈彼の一瞬の油断が取り返しのつかない莫大な損失に繋がる〉。リンが注意したのは、こう言うことだったのだ。
でも、彼は命を狙われた被害者なのに。それに彼の父はグループの最高権力者だ。

ショルダーバッグを肩に担ぎ歩き出す背中に、澪は慌てて、

「でも、お父様が──」

「アルフレックスには敵が多いの。今回は、父も母もboard of directors(取締役会)に同意するでしょう。反対すれば、彼らが訴訟されるから。ジェイは今、独りよ。もう闘うことも止めてしまった」

「そんな……」

澪は思い詰めたように項垂れた。

家族からも見放され、孤立した彼を思うとき、あの夏の夜が甦った。
愛を求める彼の孤独が、淋しくて、哀しくて、切ないほど愛おしくなって、思わず抱きしめた。

愛されたいのに、愛を知らないひと。ほんとうは少年みたいに寂しがり屋なひと。
そんな彼を、澪は突き放してしまった。

〈誰も愛したことはなかったし、誰も愛してはくれなかった〉

そう告白したときの彼は、どんな表情をしていただろう。

澪は目を上げると、ルナを追いかけた。

「待ってください。ジェイは……いま……」

ルナは待っていましたとばかりに立ち止まると、鞄から取り出した封筒を、澪の手に握らせて、

「これはBirthday present」

にっこりと微笑み、澪の頬にキスをした。

「God luck!」

暖かい春風が吹き抜けて、どこからか迷い込んだ桜の花びらが、澪の廻りを愉しげに舞った。

「Thank you!」

答えの代わりに片手を挙げた後ろ姿が、エスカレータを上ってゆく。
澪の手には、ニューヨーク行きのチケットが握られていた。
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