桜ふたたび 前編
❀ ❀ ❀
そうしてルナは、彼とともに、彼の故郷へ帰ってきた。
熊本の山間の城下町は、京都に似ている。
町の中心を碧川が滔々と流れ、対岸に城趾の石垣が見える。もう桜が見頃を迎えていた。
車は大橋を渡り、古い武家屋敷の門を潜って停まった。
「お義父さん、お着きになられました」
澪たちは襖の前で正座した。静かに襖が引かれる。
「IORI……」
と、ルナの唇が微かに動いた。
白菊に飾られた祭壇で、白衣の青年が笑っている。
少し照れたような、困ったような笑顔で、左の肩越しにこちらを振り返っていた。
「遠いところをご足労かけました」
ルナははっと、祭壇の前で居住まいを正している両親へ顔を向けた。
父は黒の五つ紋付羽織りに博多平の袴を着け、肥後もっこすらしい雄々しさを感じさせる。
小柄な母は、五つ紋の喪服に黒喪帯を締めた貴婦人だ。
代々政治家の家系で、長兄は先日の大雨の被災地を視察中のため、少し遅れると伝えられていた。
「伊織の父です。このたびは、色々とお骨折りをいただき、まっことありがとうございました」
深々と白髪の頭を下げた目元が、遺影と本当によく似ていた。
「MSFの紀村です。このたびは、何とお悔やみ申し上げれば……」
無念さにうなだれ、両拳を太股の上で震わせる紀村の横で、ルナは凛然と顔を上げている。
「ルチアーナ・アルフレックスです」
「ああ……」と、母が目を上げた。
愛おしげに目を細め、今すぐ抱きしめたいというように、少し身を乗り出した。
ルナは動揺を抑えるように一度目を瞑り、白い箱包みを、父の前へ丁重に差し出した。
一時、風が止まった。
ルナは、時計の針を進めるように、事務口調に言った。
「こちらは領事館からの書類です。ご確認ください」
頷く両親の顔に、涙はなかった。
第一報を受けたときから、生存の可能性が極めて薄いことは覚悟していたのかもしれない。
生死を問わず帰国させる望みも、現地の混乱を鑑みれば、半ば諦めていたようだ。
惜しむらくは、自分たちの手で荼毘に付すことが叶わなかったことだろう。
戦闘が続く黄色い荒土に、彼らが足を踏み入れることは、許されなかった。
今、ようやく遺影の元に、息子が帰還した。
安堵したように手を合わせる両親の背中に、息子の生き様を誇りに思う穏やかな表情を、澪は見ていた。
静かだった。
縁側の向こう、雲一つない泉水のような空の下、シデコブシが白い花を咲かせている。
時間が止まったような風景のなかで、遺影の彼だけが、線香の煙の揺らめきに朗らかに笑っていた。
やがて、僧侶が到着し、読経が始まった。
身動きのできない、厳かな哀しみ。
伊織を見つめるアイスグレーの瞳から、涙が一粒、光を弾きながら滑り落ちた。
そうしてルナは、彼とともに、彼の故郷へ帰ってきた。
熊本の山間の城下町は、京都に似ている。
町の中心を碧川が滔々と流れ、対岸に城趾の石垣が見える。もう桜が見頃を迎えていた。
車は大橋を渡り、古い武家屋敷の門を潜って停まった。
「お義父さん、お着きになられました」
澪たちは襖の前で正座した。静かに襖が引かれる。
「IORI……」
と、ルナの唇が微かに動いた。
白菊に飾られた祭壇で、白衣の青年が笑っている。
少し照れたような、困ったような笑顔で、左の肩越しにこちらを振り返っていた。
「遠いところをご足労かけました」
ルナははっと、祭壇の前で居住まいを正している両親へ顔を向けた。
父は黒の五つ紋付羽織りに博多平の袴を着け、肥後もっこすらしい雄々しさを感じさせる。
小柄な母は、五つ紋の喪服に黒喪帯を締めた貴婦人だ。
代々政治家の家系で、長兄は先日の大雨の被災地を視察中のため、少し遅れると伝えられていた。
「伊織の父です。このたびは、色々とお骨折りをいただき、まっことありがとうございました」
深々と白髪の頭を下げた目元が、遺影と本当によく似ていた。
「MSFの紀村です。このたびは、何とお悔やみ申し上げれば……」
無念さにうなだれ、両拳を太股の上で震わせる紀村の横で、ルナは凛然と顔を上げている。
「ルチアーナ・アルフレックスです」
「ああ……」と、母が目を上げた。
愛おしげに目を細め、今すぐ抱きしめたいというように、少し身を乗り出した。
ルナは動揺を抑えるように一度目を瞑り、白い箱包みを、父の前へ丁重に差し出した。
一時、風が止まった。
ルナは、時計の針を進めるように、事務口調に言った。
「こちらは領事館からの書類です。ご確認ください」
頷く両親の顔に、涙はなかった。
第一報を受けたときから、生存の可能性が極めて薄いことは覚悟していたのかもしれない。
生死を問わず帰国させる望みも、現地の混乱を鑑みれば、半ば諦めていたようだ。
惜しむらくは、自分たちの手で荼毘に付すことが叶わなかったことだろう。
戦闘が続く黄色い荒土に、彼らが足を踏み入れることは、許されなかった。
今、ようやく遺影の元に、息子が帰還した。
安堵したように手を合わせる両親の背中に、息子の生き様を誇りに思う穏やかな表情を、澪は見ていた。
静かだった。
縁側の向こう、雲一つない泉水のような空の下、シデコブシが白い花を咲かせている。
時間が止まったような風景のなかで、遺影の彼だけが、線香の煙の揺らめきに朗らかに笑っていた。
やがて、僧侶が到着し、読経が始まった。
身動きのできない、厳かな哀しみ。
伊織を見つめるアイスグレーの瞳から、涙が一粒、光を弾きながら滑り落ちた。