桜ふたたび 前編
春風がさやいで、澪のまわりに惜しげもなく花を降らせた。
そっと手のひらを差し伸べると、捕らえたと思った花びらは、蝶のようにふわりと巻いて、石畳へと逃げていった。
桜はただ、季節の理に従って生きているだけ。なのに、人びとは今が盛りの花に心躍らせながら、その終焉を思い浮かべている。散るからこそ、なお美しいと──。
澪は小さな息を吐いた。
黒髪を編み込みアップにしたうなじに、凛と張った清楚さを感じさせる。黒目が勝った明眸の奥には、花の寂しさが映し込まれていた。
ふと、誰かに見られているような気がして、澪は睫を静かに瞬かせ、目を上げた。
白川の清流に架かる小さな橋〈巽橋〉の向こうから、真っ直ぐにこちらへ向けられた視線がある。
花を愛でているふうでもなく、人待ちしている様子でもない。
外国人だろう。でも、カシミアグレーのビジネススーツは、観光客ではなさそうだ。
不思議なことに、靄んだ暮色の小路は溢れんばかりの花人たちで騒がしいのに、彼のまわりだけが切り取られたようにはっきりと、そして静寂にみえる。
無造作に髪を掻き上げたその肩から、名残惜しげに離れていく一片の花びらまで、スローモーションのように流れていった。